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実話の嘘

甲賀三郎
  

 つい此[この]間物故した松崎天民老が団長格で、先年本山荻舟[てきしゅう]長谷川伸平山廬江[ろこう]土師清二の諸君と佐渡に行った時、小木港で偶然江見水蔭老と同宿した。水蔭老から荻舟斎宛に、みんな後輩の癖に、挨拶に来ない法があるかという左[ひだ]り封じが舞い込んで、一同後鉢巻尻端折で、水蔭部屋へなぐり込[こみ]といったようなお茶番があり、その翌日、我々一行は水蔭老より先に発つので、老は態々[わざわざ]玄関まで出て、一行を送られた。
 その時に、水蔭老は親切にも私の乗っている自動車の窓を叩いて、今から行こうとする途中に西三川という所があり、そこで先年奇怪な殺人があった事を語られ、助手台の方に向いて、
『オイ、君、西三川を通ったら、教えて上げ給え。』
 と、助手の肩をポンと叩かれた。
 所が、なんと、助手台にいたのはレーンコートを着た土師君だった。森下雨村君とどっちが大きいかという大頭を毬栗[いがぐり]にして、インドのガンジそっくりの同君の事だから、助手に間違われたのは当然だと思うけれども、水蔭老は、『やあ、之は失敬。』と恐縮するし、間違えられた土師君も、些か照れながら恐縮したのは、ユーモラスな場面[シーン]だった。

 水蔭老の御親切は感謝の至りであるが、我々探偵作家は、材料になるだろうと、よく実際の殺人について話をされる。無論、全然材料にならない事はない。例えば最近のブツ切り事件では、東京の真中[まんなか]で偽名していても、案外見つからないで住んでいられる事や、忽然と二人の人間が消えても、近所では案外問題にしない事や、身体の他の部分は腐敗しても、指は未[ま]だ形を失わない事など、種々の事を学んだ。こういう事は今度小説を書いて行く上に、大へん参考になる。然し、多くの場合実際の殺人事件はそのまま材料にはならない。探偵小説は要するに机上の作事[つくりごと]であり、又それでなければ面白くないのである。

 二三ヶ月以前の「新青年」に、私は大体次のような意見を述べた。
 一、警察へ呼ばれる人間は尽[ことごと]く罪人ではない。むしろ罪人でない場合が多いかも知れぬ。警察へ呼ばれた者を、新聞が直ぐ罪人扱いをするのはいけないと思う。
 二、近頃の新聞は犯罪事件は殆ど警察の発表をそのまま書いている。それは差支えないけれども、それを恰[まる]で記者が実際に調査したように書くのはどうか。警察の発表による事を明記すべきではないか、又真偽不明の事実は、宜しくその旨を附記すべきであると思う。
 所が、間もなく東京朝日新聞では、私の小論を採用したのか、それとも他の原因によるのか、兎に角、私の意見に近い書方[かきかた]をするようになった。之(*1)は大へん愉快な事だと思う。
 即ち、去る八月九日の紙上に旅行案内の著述で有名なM氏が世田谷署に留置された記事を掲げるに際し、「旅行を種の詐欺嫌疑」と見出しをつけ、嫌疑なる事を明かにし、その嫌疑事項を連ねた最後に「――と警察では発表している」と結んであった。
 又、八月十二日には、富山から誘拐されたという少女が上野駅で発見され、その言に、富山市某町を通行中突如二人組の男が喉を絞め、目かくしをして、後[うしろ]手に縛り上げ、大きな風呂敷をかぶせ、人事不省に陥れた。ふと気がつくと汽車に乗せられていた。必死にもが(*2)いて、漸く縄を抜けて、上野駅に降り立った。その時に、もう二人組の男はいなかったという。私の常識は一読して、少女の言は嘘だと教える。(意識した嘘か、幻覚等による嘘かは別問題として。)
 それに対して東朝[とうちょう]は「真? 偽? 奇々怪々、誘拐された娘」と見出しをつけてあった。
 私は以前この話と殆ど同じ事件について、相談を受けた事があった。それは某市在住の某女が突然家出をして、結局東京市内の某所で発見されたが、某女の言によると、某市公園を歩いていると一人の男に呼留められ、お菓子を与えられたが、それを食すると忽[たちま]ち人事不省となり、気がつくと、上野駅にいて、その男は最早いなかったというのだった。私はその時に、食べると直ぐ眠って終う薬品はないから、恐らく嘘言で、多分精神異常によるのではないかと判断したが、後果して私のいった通りだった事が判明した。十七歳の少女を意思に反して後手に縛ったまま汽車に乗せて運ぶという事は、実際には出来る事ではないと思う。いかに風呂敷を被せたって、客車に連れ込める訳がない。こんな事を真面目に発表する当局も、真面目に記事にする新聞もどうかと思う。然し、こういう事が事実あり得[う]るとして通用するという事は、探偵作家にとって、大へん好都合である事は間違いない。


(備考―管理人・アイナット編)≪新字体に変換≫
(*1)八段落目(《所が、間》、で始まる段落)の、《之は大へん》の「之」、なぜか「立」という漢字だった。ルビもあったので、誤植と判断し修正した。
(*2)もがくという漢字は足偏に宛という「足宛」という漢字。