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奇妙な訪問客の話

甲賀三郎
  

 僕は変り種の手紙の話をしましょう。「伊豆の大島へ死にに行く男」というような名で、 ひどく厚い封書が来たんです。読むと、殺人をして死体を河の泥の中へ埋めて置いた。むろんその時は干上って居【い】る時に埋めたので、間もなく潮が来た。容易に判る所じゃないと思っていたところが、最近其処を通って見ると、其処に橋が架かるらしく工事が始って居る。これは大変だ、発見されない中【うち】に伊豆の大島へ行って飛び込むという、大変長いものでしたよ。僕は直ぐこれは創作だ。二、三日して何か手紙が来るんだろうと思っていたら、果して二、三日して手紙が来ました。あれは創作だったという手紙、これはそれだけ。
 も一つは横浜から来たもので、非常にタドタドしい文句で、文士になりたいが、是非弟子にして呉れ、住み込まして呉れとまでは書いてなかったが、まぁそれと察せられるような文面で、一度お伺いしたいということが書いてあった。住所もちゃんと書いてあったから、直ぐ迚[とて]もそういうことは出来ないといろいろ諄[じゅん]々諭した断り状を出しました。にも拘[かかわ]らずある日突然やって来た。家内が玄関へ出て行ったら、いきなり文士になりたいと言うのだ。今文士になりたいという人が来たというから、ハハアあれだなと思って、まぁ上げて見ろと上げたんです。会うと、かなり汚れた浴衣一枚のまだ十五、六の子供だ。話を聞いて見ると、お父さんが逝[な]くなってお母さん一人の焼芋屋の子供です。何でも印刷の植字工をした経験があるから、そんな方面に働きたいというようなことを言っていたですが、今そんなことを言ったって仕様がない。何か就職口[くち]があれば又知らせて上げるから、とにかく横浜のお母さんの所へ帰りなさいと言ったら、三十分位黙ったまま物を云わない。これには弱って、いろいろ諭して帰しましたがね。
 その時に、とにかく横浜から往復の汽車賃を使って来て居るんだから、これは幾らかやるべきだと思った。所がまた茲[ここ]に一つ面白い話がある。それは実に泣くことの強請[たかり]だ。先ずやって来て、女中に断らせると、メソメソ泣くんです。気の毒になって五十銭位やることになる。ところがこの手で私の死って居る人が可なり被害を蒙[こうむ]った。それを或る人に聞くとこうなんです。最初地方から出て来て、或る人の所へ弟子入りしようと思って訪問した。その時に諄[じゅん]々と説かれて、本当に悲しくなって泣いた。そうしたら五十銭か一円か金が貰えた。それで思いついて、今度はもう弟子入りというようなことは第二段で、諸々[ほうぼう]の知名の文士の玄関を訪問しはじめた。となると、最初に慈悲を掛けた人がそういう思い附[つき]をさしたとも言える。僕の場合も、若[も]し此処[ここ]で金でもやれば、また他の所へ行って金でも貰って、それが癖にでもなるようなことがあっちゃあいかぬと思って、可哀想でしたが、とにかく帰しました。

大下 それは確かにやらぬ方が宜[い]いね。僕はやらないことにしている。僕の騙されたのは名前は忘れたが、本所辺りのお爺さんだ、これは原稿を持って来て、見て呉れと言う。直ぐ読んでやった。相当な文章だが話になって居[お]らぬと言うと、これをどうしても金にしなければならぬ、本所から歩いて来たと言う。見れば相当のお爺さんだし、原稿も書いてあることだ。気の毒だと思って晩飯代をやった。ところが後で聞いて見たら、それが土師清二氏、森田草平氏、平山蘆江氏の所にも、同じ原稿を持って行って居[い]る。十枚くらいの原稿だから、原稿料位は取ったらしい(笑声)。だからやるのは宜[よろ]しくない。


(備考―管理人・アイナット編)≪新字体に変換≫
※二段落目の「就職口」はこの三文字全部で、「くち」と読む。
【持寄り座談会】というコーナーであり、最終段の大下とは、甲賀の話に対する大下宇陀児の感想のような物。なお大下の著作権は生きているが、この文章の主従を考えると、明らかに大下の分は従であり引用の範囲であるから、そのまま載せておいた。