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黄金[こがね]渦巻く北米合衆国

大西洋上にて 春田能為
  

◆戦時大統領の死
 一九二四年二月二日、私は北米合衆国首都ワシントン府の旅舎で、戦時大統領[ウワア プレシデント]ウィルソン氏病篤しと聞いた。翌三日、ワシントン府を辞してニゥヨークに向った時『ウワァ・プレシデント』は遂に再び立たなかったのである。合衆国市民が深甚な弔意を表した事は申すまでもない。各国の大使館は弔旗を掲げて哀悼の情を示したのであった。然るに独り独逸大使館は弔旗を掲げなかったのである。
 黄金[こがね]渦巻く合衆国と敗残の独逸帝国と之は正しく欧洲大戦の結果である。ウワァプレシデント・ウィルソン氏の死に弔意を表しなかった独逸大使館の態度の是非に就いては、暫くここに論じない。然しながら『米国参戦せざりせば』と思うは、独り敗残の独逸帝国のみではあるまい。英仏伊白の諸国が死力を尽して独軍の侵入を防いだ時に、独軍が死力を尽して諸連合国を攻撃した時に、米国の参加は戦争の結果を決定的ならしめたのではなかったろうか。
 独の精兵も遂に強弩の末、二百萬の俄[にわか]作りの米兵には敵しなかった。いや独逸の恐れた所のものは米兵のみではなかった。連合側に対する合衆国の物資の豊富なる供給であった。或はむしろこの方がより以上に独逸に打撃を与えたかも知れない。他の物資に就いては私は多くを知らないが、米国が連合国に供給した物資の中[うち]、見逃すべからざるは火薬である。
 火薬に硝酸は欠くべからざるものである。硝酸の原料は南米智利[チリ]国に産する智利硝石は又肥料として最も広く用いられるものである。欧洲大戦と共に図らざる米国の参加によって、独逸は厳重なる封鎖を受けた。然し火薬に肥料に独逸は決して困らなかった。何故なら独逸は空気中の窒素を固定する事に依って充分之を補い得たからである。然るに封鎖をしている所の連合国は、独逸の潜行艇によって、智利国との連絡を保つ事困難となり頗る火薬の供給に窮したのである。この時に於て米国の参加なかりせば果してどうなったであろうか。読者もし英国の碩学パーチントン博士の著『窒素工業[ゼナイトロゼンインダストリー]』を繙[ひもと]いて、その序文を読むならば、この間の消息は明白に知る事が出来る。
 戦争の初期、智利沖の海戦に於ける英軍の勝利はすでにその時に連合側が最後の勝機を握っていたものと云える。或る化学者は欧洲大戦はウィルソンの言の如くロイドジョージとヒンデンブルグの戦に非ずして、実に智利硝石と独逸硝酸工業との戦いなりと云った。

◆ヘンリ・フォードの大事業
 米国は戦争参加と共に智利硝石及智利硝石より製したる火薬を英仏諸国に送ったのである。然し後には潜行艇の脅威によって、米国自身も亦智利硝石を得る事困難となった。ここに於て政府は数億弗[ドル]を投じて、アラバマ州に空中窒素固定による硝酸製造の大工場を建設したのである。この工場は未だ能力を発揮するに至らずして戦争は終結した。之は余談であるが近時この大工場をこの儘放棄すべきか、更に投資して之より窒素肥料を製造すべきかが議会の大問題となったのである。然し政府が之を継続すべしと云う提案は僅かなる票数の差異で遂に否決せられたのである。然るに其後自動車王ヘンリィ、フォードは突如として右工場の貸与若くは払下げを申出でたのである。いや世人には突然であったがフォードには決して突然ではなかった。彼は先に発明王エジソンと共にミシガン湖畔デトロイトの寓居を出て遙にアラバマ州に至り親しく調査を遂げたのであった。フォードは政府の未完成の工場を五百萬弗[ドル]にて買受けるか又は政府に於て完成して百ヶ年間年賦五千萬弗[ドル]にてフォードに貸与せよ然らば戦時には無条件にて火薬製造所として政府に提供し、平時には窒素肥料を安価に農夫に提供すべく百萬人を使用して目下の失業者を救うべしと云うのである。ヘンリィ・フォードは一代に世界第一の富豪となった英傑である。彼をしてこの大工場を経営せしめれば、必ずその言の如くするであろうと一般に信じられている。

◆昨の債務国、今日の債権国
 読者よ。先ず北米合衆国の地図を開けサンフランシスコよりニゥヨークまで最大急行列車は四昼夜を要す。而して走る所は只茫漠たる原野である。北の方ニゥヨーク市のハドソン川に氷の張る時、南の方ニュオリンスでは海水浴をしているではないか。カリフォニア州一州を以てして我が本土より大なる面積を示している。もしそれ耕地に至っては我が全土を以てしても遠くカリフォニア州に及ばないではないか。而もカリフォニア州全州の費す所の肥料は我国の費す所の肥料の十分の一に満たないのである。かかる肥沃の地はカリフォニア州に止まらず南部諸州ことごとくそれではないか。
 我国の農村青年諸君よ。もし諸君が或は労働、或は施肥を以てして、諸君の耕地より一割の増収を図る事しかく容易なりや、合衆国の農法は我国のそれより見る時は実に簡単なるものである。農夫が少し勤勉なるか、又は少しく肥料を施せば、作物の増収を図る事易々たるものである。テキサス州の或る農夫は試みに集約農法を施して収穫の多いのに驚いたと云う事である。
 合衆国民は大戦に際し物資が売れるので少し働いて見た。働けば働くだけ物が取れるのである。そうして之を連合国に売つけたのである。由来米国を開いたのは英人仏人蘭人等である。従ってこれらの諸国の資本の入っていたのは当然である。然るに戦争の影響によって米人は遂に之等の資本を悉[ことごと]く自分の手に収め得て、昨の債務国は今の債権国になったのである。斯くて北米合衆国には黄金[おうごん]の渦が巻いているのである。合衆国の黄金[おうごん]は我国のそれの如く決して一時的のものではない。いや益々増えようとしている。大なる領土の何処でも、少しく掘れば石炭、石油が出てくる。少しく耕せば多くの収穫を得るのである。かくして世界の黄金[おうごん]は今や米国の手中に帰せんとしつつあるのである。

◆贅沢か、分相応か
 人、合衆国民を以って贅沢なりと云うもし贅沢が分不相応と云う事を意味するならば、之は少しく当らない。私は合衆国を目して一般に生活程度が高いと云う実際アメリカ人は分不相応の事はしない物価は高い。然し彼等の得る所のものから比較すると決して高くないのである。労働賃金の最低額は(都市に於て)五弗[ドル]であり、煉瓦工の如きは十二弗[ドル]乃至十五弗[ドル]を得て下層労働者羨望の的となっている。即ち収入は我国に比し三倍乃至四倍であるが、物価は二倍よりも寧ろ安い洋服の如きは四十乃至五十弗[ドル]で普通のものが得られる。靴は七、八弗[ドル]で得られ日本の普通の人の穿くものよりは遙に丈夫である。食物の如きも普通一皿五十仙[セント]内外で量は日本に於ける二倍ある。活動写真の如きも設備は我国には到底比較にならぬ程立派で普通五十仙[セント]、只家賃は日本に比し稍高い。中産階級の住う家[うち]は先ず百弗[ドル]であろうか。然し之とても設備に至っては比較にならぬもので、熱湯はいつでも出るし、室内の温度は厳冬の候と雖も七十度(華氏)を下らないのである。以上の例は悉[ことごと]く大都会に於るものであって地方の小都市或は夫[それ]以下にありては物価も安く、従って設備も劣るものと承知せられたい。即ち合衆国に於ける諸物価はその内容に伴うもので、日本と比較して絶対的に高いものは余り見当らない。但し手工品は我国より高いようである。
 合衆国は斯くの如く生活程度高き為め都市の一部には貧困なるものが住まう事少ないようである。然し一般に生活には窮していない。何故[なにゆえ]なら昿汎な沃野を以っているから、手に鋤鍬[すきくわ]さえとりさえすればよいのである。斯くてアメリカ人は労する事甚だ少くして、而も生活の程度甚だ高く、尚年々数十億の生命保険を増加して行く。実際アメリカ人は収入の割には節約である。ニゥヨークなどに居ても、個人的には贅沢であると云う感じに余り起した事はない。然らば金は残る筈である。この点に就いてニゥヨークに永くいる人に訊[ただ]した。それは当然の帰結である如く貯蓄となるのであった。
 人、アメリカ人は粗野なりと云う。この点は確[たしか]に同感である。アメリカ人は粗野にして無作法である。然しながら公衆の面前、公開の場所に於ては、彼等は日本人よりも確[たしか]に礼儀を守る。電車に乗る際も決して押し合わない――もとより電車に余裕のあることも勿論であるが――活動写真の切符を買う時も必ず列を作るバートランド・ラッセルは米人を評して自ら悟ることなき偽善家と云ったそうである。実に旨い事を云ったものである。米人はたしかに偽善家である。公衆の面前ではなすべからざる事として教えられ彼等は我儘を押さえながら之に従った。然しそれがいつの間にか習慣となり、遂に所謂自ら悟る事なき偽善家となったのである。私は偽善も結構であると思う。道を歩く時に、つき当たったり或は一寸[ちょっと]さわったりした時にすぐにエキスキウスミー又はパードンミーと云う習慣は例え偽善にしても気持がよいではないか。郵便局或は図書館の係員等がたとひ表面的にせよ深切にして呉れるのは、我々外国人んびとって嬉しい事ではなかろうか。殊に学者のオープンハートで親切なのには一層敬服する。

◆学ぶべき点
 米人を通じて感心する事が二つある。一はアングロサクサンの血を受けたものとして、大陸の住人として、甚だ心が悠暢な事である。料理店等で絶えて註文を催促するものはない。私がニゥヨークで地下鉄道に乗った時に故障が起って数分間出たり止ったりしたけれど、絶えて騒ぐものはなかった。停留場の近所であったが、誰一人立上って降りるものはなかった。ニゥヨークに永く居る人の話に、先年地下鉄道始まって以来の大停電があって四十分間に及んだそうであるが、其時に乗客は少しも騒がず暗黒の中[うち]にじっと乗って居たそうである。二、三十分の後車掌が恢復の期不明であるから、降りて歩いて呉れと云った時始めて降りたそうである。この点は我々の学ばなければならぬ点と思う。第二の点は、階級であるが、職業的貴賤の差別の少ない事である。靴磨きでも、給仕人[ウエター]でも、客に対して殆ど対等である。無論自分の仕事とし従事する以上、客を出来るだけ丁寧に扱う事は当然である。然し決してペコつかない。彼等が一定の時間後、仕事着を脱いで平服となり帽子を被って外に出るならば、もう何の差別もないのである。従って我国のように、巡査とか役人とかが矢鱈に威張ると云う事はない。巡査も車掌も客も皆友達である。羨ましい事であると思う。
 如上に述べたアメリカ人の美点や、生活上の余裕や、すべて我等の感心し羨望する事は、根本に於てアメリカが物資に富んでいると云う事に起因するのである。――金持ちであると云う事は一方に道徳的に堕落する危険を伴う事無論である。――が我国人をしてアメリカに住まわしめ、この豊富なる資源を恣[ほしいまま]に利用せしむれば――尤もその時には我国人が果して今の如く勤勉であるかどうかは疑問であるが――きっとアメリカ人以上の事をするに違いないと思うのである(次号完結)

◆富める米国・・・・貧しき日本
 私は今迄、何故にかく骨を折って北米合衆国に黄金[こがね]渦巻く事を説いたか。これ我国の見逃すべからざる事であるからである。我国は太平洋を挟んで、最もアメリカに接している国である。いやでもアメリカの影響を受けねばならない。殊に我国は遺憾ながら物資に乏しい国であって、年々この金持の国から富を取り込むどころか、反[かえ]って金を吸い取られて居るではないか、日清戦役に三国干渉の憂目を見た我等の先輩は、臥薪嘗胆富国強兵を説いた。日露戦役も然りで、今も尚然りである。然しながら富国と強兵は我等の先輩の一部が考えた如く二つの相独立した因子ではなかった。強兵は実に富国にデペンドする一つの因子である。我等の第一に目標として進むべきは実に富国である。そうして富国の基礎は消極的には倹約であるけれども、根本的には『生産』である。
 吾人は先ず『生産』しなければならない。そうして之を支那大陸に売る事は勿論であるが、第一に富める合衆国に売りつけるべきではないか。
 私が北米合衆国に来て、始めて知ったことは――恥[はずか]しながら――合衆国の驚くべき富と(主として天然資源を云う)我国の乏しさとである。そうして沈思一考して悟った事は次の三つである。
 第一は我国の生産者に対する待遇の薄き事である。之は生産者自身の自覚せざる点や、生産組織の悪い点によるであろう。第二は我国の海運業の振わざるべからざる事である。周囲環海の国として、海運業の振わざるは実に遺憾である。然しながら之亦資本の関係によることで如何ともすべからざる事である。第三は私自身が技術者の一人である立場からして、我国の生産工業がいつまでも欧米の模倣を出[い]でない事に対して通感する一事である。前述の窒素工業の如きは国防上の立場よりして、どうしても我国に成立せしめなければなるまい。然しながら国防にあまり関係ない工業――これは大分むずかしい所で、強いて云えば国防に関係なき工業はないであろう。が、之は国家経営上の常識を以って定めて貰いたい――を、イギリスで行[や]った、ドイツでも行[や]っている、アメリカも行[や]ろうとしている、だから我国でもやろうと云っていたのでは、果していつの日に欧米諸国に打ち勝つ事が出来るであろうか。
 私はむしろ、ドイツでも試みた、アメリカでも試みた、然し皆失敗した。だから日本でやろうじゃないかと云うのでなければいけないと思う。然しこれには技術者の非常なる努力と資本家の非常なる勇気を要する。技術者は欧米に既に行われているものを実施する方が楽である。資本家も亦危険率が少ない。然し之ではいけない。日本独特の生産工業を起すのは技術者と資本家の責任だと思う。百年かかてもいいではないか。なさざるに勝る萬々[ばんばん]である。我国民よ、齢すでに知命をを越えた、ヘンリィ・フォード氏が政府の工場を百ヶ年間貸与を申出た大きさを学ぼうではないか。

◆米国及び米国人を理解せよ!
 話はアメリカに戻る。私は日本の立場として、どうしてもアメリカの天然資源を利用し、及びアメリカ人に生産品を売りつける事に努めねばならぬと思う。我国人はあまりにアメリカ人に反感を持ち、余りにアメリカ人を軽蔑した。我等はそれよりもアメリカ及アメリカ人を利用しなければならぬ。
 我国人はアメリカ及アメリカ人を諒解しない。又諒解しようと勉めない。アメリカを訪問する日本人の多くは物価の高きに辟易して、速足で通り過ぎる。アメリカの事物に驚嘆の眼を見張って通り過ぎる人でなければ、アメリカの事物に反感を持って通り過ぎる人である。吾人はアメリカを利用する前に先ずアメリカ人をよく諒解しなければならぬ。
 アメリカは金持の国である。従ってアメリカ人は苦労をしない。つまり坊ちゃん育ちは我儘である。その代り鷹揚な所がある。又抜目もある。乗ずべき隙――悪い意味でなく――充分あるのである。我国人は表面にはアメリカに一目置きながら、実利を占めて行く事が出来ないが、あの自ら持する事高きイギリスさえも、戦後は暫く隠忍して、アメリカの御機嫌をとりながら実利を占て行[ゆ]くではないか。どうも日本人はこの坊ちゃん育ちの我儘ものを馬鹿にしていけないと思う。アメリカ人と提携して実利を占めて行[ゆ]く上に於ては、彼の悪い方面は見ないで、好い方面を見て、尊敬して行[ゆ]かなければいけない。又実際アメリカ人は充分尊敬に値する人民であると思う。禁酒令を立派に実行している点だけでも尊敬に値するではないか。人稍もすると禁酒令は実行されていないと云う。盗賊を禁ずる法律はどの国にもある筈である。そうして盗賊のない国があるであろうか。公開の席上、善良なる家庭、そこに禁酒令が行われて居れば夫[それ]以上の事はいたし方がないではないか。日本に帰って、アメリカに禁酒令が行われていないような事を報告する人は自ら禁酒令を守らない人である。私はアメリカでは、禁酒令は立派に行われている事を断言する。
 我等はもっと、アメリカ人を尊敬しなければいけない。徒に外国人を罵るのが、決して愛国でもなければ、尊王でもない。我等がアメリカ人を尊敬するならば、アメリカ人も又我等を尊敬するであろう。我[わが]日本人も亦決して尊敬に値しない国民ではない。お互に尊敬し合えば、そこに諒解が生れて、親密が成立するである。
 外国に来て最も痛感するのは、日本人の国際観念[インタナショナリティ]の乏しき事である。之は維新当時の尊王攘夷の精神の災いされているのであろうが。先ず船に乗る。そこにはイギリス人もアメリカ人もないではないか。彼等はトランプを遊ぶ時でも他の遊戯をやる時でも、又酒を呑む時でも必ず我等を誘って呉れる。ニゥヨーク山手[アツタウン]のアパートメントを訪ねて見よ。ドイツ人も、イタリー人アメリカ人も共に楽しく語っているではないか。我等は先ずアメリカ人と友人になる事を考えねばならない。互[たがい]に尊敬し諒解し友人となって後、資源に乏しき我等はアメリカの資源の利用を許されねばならぬ。之れ人類共存共栄の本義である。

◆半身不随の米国
 アメリカの豊富なる天然資源の利用に就いては、多々あるであろうが、私の短時日の間に、気のついた事が一つある。それは、米国が半身不随国である事である。
 米国はその中心が余りに東部及南部に寄りすぎた。西部諸州即ち太平洋岸地方には手が廻り兼ねている。成程鉄道は四通八達している。然し西部に産する加里を汽車で南部に持って来て肥料にするよりは、独逸から船で運んで来た方が安い。東部から中部にかけて産するコークス炉の副産物硫安を汽車で南部に持って行[ゆ]くよりは、船で日本に持って行って売った方がよいのである。目下のアメリカの状態では自分の国に沢山ありながら使い兼ねているものが沢山ある。それが多く西部諸州にあるのである。そうしてこの太平洋沿岸[パシェックコースト]に対しては我国は実に地の利を占めている。サンフランシスコからニウヨークに持って行[ゆ]くよりは、横浜に持って行く方が遙に便利ではないか。ワシントン州の水力やユタ州の鉱産物加州の農産物などはどしどし利用すべきである。尤も之を我国に買取って我国で消費するのでは何もならない。之等を利用して大いに工業を起すべきである。
 殊にアラスカやワシントン州に豊富にあると云われている水力は是非利用しなければいけない、我国の資本家は狭い国内で高い動力[パワー]で仕事をするよりも、アメリカの西部に投資して安い動力[パワー]で仕事をする方が遙にいいではないか。之からの世の中は動力[パワー]の安いのを持っているものが勝つに極っている。
 之を要するに我国人はアメリカに対する研究が甚だ足りないと思う。ヨーロッパなどを研究するよりアメリカを第一にすべきである。そうしてこの黄金[こがね]渦巻く国から少しでも多く黄金[こがね]を頂戴しなければならないと思うのである。
(一三、二、一七、アメリカを去りてドイツに向う大西洋上にて)


(備考―管理人・アイナット編)≪新字体に変換≫
「学ぶべき点」と「富める国米国」との間にある(次号完結)は、連載の境目。通読する時は無視して良い。その連載だが、二回の連載である。なぜか二回目のタイトルは『黄金渦巻く北米』になっている。