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探偵小説家の製作室から(大衆作家の楽屋ばなし)

甲賀三郎
  

 私がはじめて「新青年」誌上に探偵小説を発表したのは震災の年だった。
 此年、江戸川乱歩氏が「二銭銅貨」を掲げて「新青年」に現われる迄は、翻訳や翻案、それに岡本綺堂氏の「半七捕物帳」をのぞいては、純粋な探偵小説の創作は、未だ日本にはなかったと云って好いだろう。
 当時、森下雨村氏は「新青年」の編輯者として、大いに海外探偵小説の紹介に努めていたが、乱歩氏の「二銭銅貨」の掲載を機縁として、純粋な日本人の創作物を載せはじめた。そして、私にもその機会が与えられた。私は中学時代から探偵小説が好きで読んでいたし、大学を出てからもずっと読み続けていたので、コーナン・ドイル風のものなら書ける自信があったのである。それで、私が最初に発表したものも、やっぱり、コーナン・ドイル風のものだった。
 震災後、私は商工大臣の命によって(当時窒素研究所に勤めていた)欧米に出張した。出発の時、探偵小説の草稿を持って行った。旅先で手を入れる筈であったが、少しもそんな時間の余裕がないので、その儘森下氏に送り届けた。これが「琥珀のパイプ」で、題名も森下氏がつけて呉れたのだが案外評判がよかった。
 しかし、今から考えて見ると当時は作家の数が少かったので、楽々と地位を得て行くことが出来たので、現在ならば、私たちの初期の作品程度では、とても出て行けなかったと思う。
 私は十三年の末欧米旅行から帰国して、十四年からやや多く書き始めた。しかし、勤務の方を怠けるようなことはなかった。謂わば一種の余技であった。
 勤務の方をよして、断然作家的生活に入ったのは昭和三年の二月だった。だが、これとても、全然自発的な生活変更とは思っていない。勤務をしていて作をしていると、どうも当たり前の目で見られない。勤務の方はちゃんとやっていてもやっぱり怠けているように見られる。それから余分の収入を得ていることも反感を持たれ易い。高田義一郎博士が千葉医科大学を辞職せられたのも私と同じような理由からであったらしい。
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 私は、見晴らしのいい二階の書斎の、日本机に坐って仕事をしている。しかし私はテーブルの方が好きである。それも低い椅子と低いテ−ブルでなければならない。で、続きの洋風になっている応接室の隅に、テーブルを据えているが高過ぎるので使っていない。
 以前、勤めを持っていた頃は、執筆は勿論夜の仕事であったが、此頃は成るべく昼間書くようにしている。しかし、それも極最近、夏休みに逗子に行って帰って来た頃からで、それまでは、職を止めてからの惰力で、夜はどうしても二時三時まで起きていた。随って、起きるのも十二時頃だった。それを、此頃では七時には起きて夜も十時には休むようにしている。昼間の執筆の方が、健康の上からも、能率の上から云ってもよい。
 しかし、能率の問題は、来客を考慮にいれない場合である。私のところは来客が多い。日に四五人位は珍らしくない。それに、私は来客は大抵会うことにしている。尤も、此頃はゆすりのようなのが大変に殖えたから、知人からの紹介状のない人は、一応玄関で用件を聞くことにしてはいるが、そして、そういう人は成るべくことわるようにしてはいるが――。そんなわけで、結局、昼間の執筆は能率があまりよくないことになってしまう。それで、少し纏まった仕事の場合などは、旅行をしたりして書くことにしている。
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 私は一日に三十枚位書くことは珍らしくない。と、いうと、諸君は月に九百枚という風に勘定するかも知れない。が、どうしてなかなかそういう工合に行くものではない。
 他の小説にしてもやっぱりそうであろうが、探偵小説は、特に書きはじめるまでに時間がかかる。探偵小説では、前に書いた、極めて些細な描写、作中人物の片言隻語、それらが悉く後の方の伏線になる。一度出したものは引っ込められない。書き落しても結末に困る。現在、私は朝日新聞の夕刊に長篇を執筆しているが、夕刊小説の読者層ということに関する考え方が、執筆しはじめた頃と少しく変って来て、今となってはどうにもならない。そこへ行くと、他の小説は自由が利く。人物の出し入れでも、筋の運びでも、はじめの構想と変っても平気である。新聞小説だとか、雑誌の連載物など、極大ざっぱな筋だけ組み立てて置いて書き始める。という話はしばしば聞いている。そこへ行くと探偵小説は絶対にそんな融通は利かない。執筆以前にあらゆる細部に亘って準備をしなければならない。修正が出来ないからである。
 先ず、トリックを思いつく。トリックを考え出す動機はきまっていない。読書や、経験からヒントを得る場合もあれば、カフェーあたりで拾うこともある。(然しカフェーの女給からは絶対に得られないと云っていい。彼女達は案外平凡で種になるような話は持合せていない)トリックを考えつくと、これに肉をつけて、漸次に筋を組み立てて行く。その間は、そこらの本を盛んに雑読する。そんな時に来客でもあると、纏まりかかった考えが散ってしまって、書きはじめてからよりも余計に困る。さきにも云ったように、あらゆる細部に亘っての筋の組立が出来ると、はじめて書き出す。だから書きはじめてからの行き詰りは少いかも知れないが、書き出す迄に他の小説の場合よりも余計に時間を費すのではないかと思う。
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 本は何でも読む。欧米の本も読めば日本の本も読む。しかし、科学の本は読めば得るところがあるけれども余り読まない。これからすこし読んでみようと思って買って来ているが、まだ読みはじめていない。
 芝居や映画は、好きでもあるし、又成るべく観るようにも心掛けている。しかし、芝居のうちで、歌舞伎には近来殆ど興味がない。やはり築地などを観たいと思う。
 銀座などのカフェーを飲み歩くのも好きである。私は酒も嗜めば、煙草も喫う。しかし此頃は軽い糖尿病で、酒かいけないから銀座には成るべく出ないようにしている。煙草はやっても大したことはないが、煙草を廃すのは平気だから、やっぱり廃している。
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 私は、探偵小説の真の面白味は長篇に限ると思っている。ところが、日本には、未だ長篇らしい長篇は殆んどないと云っていい。その最大の原因は本格小説の書ける作家が出ないからではないかと思う。そして、そのことは又、本格小説が変格小説にくらべてはるかにむずかしいことと、雑誌が、販売政策上名前を列べなければならないので長いものを喜ばない。ということに起因しているのではないかと思う。実際、本格的な探偵小説が、そう短い枚数で書けるものではない。少くとも七八十枚はなければ満足なものは書けない。そこで、新らしく出て来る人など本格的なものの書ける人でも、七八十枚もの枚数になれば、どこでも採ってくれないしするので、結局、書くに楽でもある変格物の方へ行ってしまうことになる。短篇物でさえ、本格小説の発表はこのように困難であるが、長篇になると、書くのも勿論なかなか生やさしいことではないが、発表になかなか困難を感ずる。
 第一、雑誌の分載に適しない。先にも云ったように、探偵小説に於ける一言一句は、すべて慎重に用意された一言一句である。一部分でもぼんやり読過したら、もう面白味はなくなる。前の方の一言一句を、はっきり記憶に止めていてはじめて、尽きない興味をくみとることが出来る。しかるに、雑誌に分載されると前月号位迄は覚えていても、それ以前になるとなかなかそう細部まで記憶していない。かといって、もう一度読み返してみるような熱心な読者は少い。
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 英国では、月々百冊位ずつ小説類が出版されるが、そのうち、五十冊位は、新作の長篇探偵小説である。(残りの五十冊の中には、勿論デュマなどの翻訳もあれば、古典的なものの複版もあるといった工合で、探偵小説の流行は実に大したものである)長篇は、かようにはじめから単行本として出版される。雑誌などに発表されるものはやっぱり短篇である。長篇の分載はきわめて少い。探偵小説は、この英国流の発表方法が一番良い方法ではないかと思う。私は、探偵小説の長篇時代の招来に努力したいと思っているが、その為には、出版界に先ずこうした機運を醸成させる事が必要であろうと思っている。そういう意味で探偵小説全集の出版を私は喜んでいる。少くともあれは、日本の読者層に、長篇探偵小説の面白味を理解させるに役立っているに違いない。
 短篇物の探偵小説を、月に三つも四つも書かせるのは無理である。一つのトリックは二度使えない。トリックというものはそんなにざらに考え出せるものではない。
 私は、これまでのところ、経験の範囲内で取材している。だから、書く前に、実地について調査したりしたことはない。夢野久作氏などは、一々調査しているのか、材料を供給してくれる人があるのか、取材の範囲が羨ましい程広い。押絵のことを書いているかと思うと、株屋の事を書いたり、今度は又新聞記者の事を書いている。取材の範囲の広いのはいい事である。私も、これからは成可く、色々な事を調査して書いてみたいと思っている。
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 探偵小説は本来知識階級の読物である。ぼんやりと読み捨てるべきものではなく一言一句を噛みしめながら読まるばきものであるそういう意味で新聞の続き物としては朝刊に掲載さるべきものでなかろうか。新しい長篇探偵作家の出現と共に漸次此の方面に処女地を開拓して行くようになるだろうと思う。又そういう意味で私は、新青年以外に改造、中央公論、文学時代等の、高級雑誌に執筆することには張り合いを感ずる。


(備考―管理人・アイナット編)≪新字体に変換≫
元々ルビはない。朝日の夕刊連載作品は「幽霊犯人」だろう。