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新聞記事と殺人探偵小説

甲賀三郎
  

 此頃の新聞は議会の記事ばかりと云って好い。今は生中な事をしても、大きく載せては貰えない。同じような事をしても、その時の運次第で華々しく出る事もあれば、隅っ子に小さくしか載らない場合がある訳だ。
 新聞で見ると、凡そ政府と云うものはヘマな事ばかりしているらしい。尤も在野党にも可成ヘマがあって、つまり、ヘマの分量の少ない方が、仕方なし国民の支持を受けているように見える。日本の新聞には政党の機関紙と云うものがないらしく、あってもどうも振わないらしい。殆ど全部の新聞が不偏不党を看板にしているようで、不偏不党と云うのはつまりどっちも賞[ほ]めないと云う事になる。従って新聞を見ていると、日本には碌[ろく]な政治家がないと云う事になる。之はどうかと思う。どうせ日本人は日本国内の人物に頼るよりないのだから、まぁ、中でもましな人物に頼らせるようにするのが本当ではないかと思う。それには、矢張新聞がはっきり政党別になっている方が好[い]い。一方の新聞を読むと、その新聞の支持している政党の方が馬鹿に好く見えて、反対の新聞を見ると、他の政党が非常に好[い]い様に思える。恰度[ちょうど]下手が高段者の碁を見ているようなもので、白が一目打つと、白が馬鹿に好く見え、黒が一目打つと黒が非常に優勢に見える。そんな訳で、両方の政党が好く見え、そのうちでもより好[い]い方に頼ると云う方が、どうせ頼るとすると、気持が好いだけましだ。今の新聞のどっちも賞[ほ]めないと云うやり方は、国民を頼りなくせしめるものでどうも好くないと思う。
 議会開会中の為についこんな事を書いたが、我々探偵小説家の領分は矢張りどっちかと云うと社会面だ。所が近頃の社会面はどうも生彩に乏しい。禄[ろく]な殺人事件がない。などと書くと、なんだか殺人を歓迎しているようで、、そう取られては困るが、なんと云っても、殺人事件と云うものは文明人に興味の多いものだ。気の利いた殺人事件がないと云うのは、探偵小説家ばかりではなく、一般の人に取っても、多少淋しい事に違いない。然し、誤解を避ける為につけ加えて置くが、殺人事件に興味を持つと云う事は、決して殺人を奨励する意味ではない。文明が進むと、犯罪は増加するそうだが、私の考えでは殺人などは減りはしないかと思う。一方では珍しいものを求めると云う人間の性質があるから、殺人事件が珍しくなればなるほど、喜ぶようになるのは無理はない。将来は殊によると、殺人事件は小説の上にのみあって実際にはなくなるかも知れない。
 近頃の新聞には気の利いた殺人事件は少ないが、ナンセンスな事はちょいちょい見受ける。最近に田舎の暗闇で老婆の懐中を探って強盗罪で起訴され、男が、決して強盗のつもりではなく情婦と間違えたのだと抗弁した事件があった。裁判官が実地を取調べたら、老婆の言を聞くと、どうも懐中よりももっと下の方つまり腹部の方を触ったらしく、結局、強盗罪は成立しなくなったと云う、頗るナンセンスな話があった。
 社会部の記者諸君はこう云うナンセンスな事になると、中々面白い書き方をして、思わず破顔一笑する事があるが、一朝殺人事件となると、どうも昔ながらの固い書方をして、どうも面白くない。殺人事件にはきっと極って、「探偵小説そのままと」云う見出しをつけるその為に記者の筆は省けるかも知れないが、迷惑するのは探偵小説で、探偵小説を知らない人には、探偵小説と云うものは、そんなに下品なものかと思われる。探偵小説と云うものは、近頃の新聞の社会面に書かれているようなものでない事を、探偵小説の名誉の為に書き加えて置く。
 そこで、記者諸君にお願いしたいのは、そう云う殺人事件の書き方を、いつでも、「探偵小説そのまま」と云う極りきった見出しの許に、前記何方に至り、被害者を某所に連れ出し、何々、と云ったような書方をしないで、本当に探偵小説のような書き方をする事だ。
 イギリスあたりの新聞は、殺人事件などには、読者の興味をそそるような小説的な書き方をする。一体誰でも云うように、事実は小説以上の興味のあるものだから、それを砂を噛むような書方をしないで、小説のような書方をしたら、それが生々しい殺人事件だけに、非常な効果があるに違いない。記者が実際に探偵して、犯罪の行われた附近の人達の言葉や、被害者の身許など、小説体に書いて、読者に殺人の動機や、犯罪の方法、犯人の推定などをする余地を与えたら、きっと読者を惹きつけるに違いない。
 そうなると、新聞の紙面がないと云うかも知れない。なるほど、日本の新聞と云うものは実に偉いもので外国の重[おも]な出来事はもとより、国内の政治経済から碁将棋の娯楽に至るまで、凡そないと云うものはない。一体、何人の人を使って、どういう組織の許にやったら、ああ出来るのかと感心する。然し、一面には下らない写真などを入れて、貴重な紙面を塞いでいる事も多い。写真は伸縮自在だから、紙面の調節にはもって来いだろうが、日本の新聞は少し乱用に過ぎると思う。漫画の中には中々面白いものがあるが、写真と来ると、感心するようなのは少ない。大抵は下らないものである。アノ写真を少し少なくして、今云う社会記事殊に殺人事件などを面白く取扱ったら好[い]いと思う。
 も一つ新聞に云いたい事は夕刊に一工夫の欲しい事と、科学記事を正確にして貰いたい事だ。夕刊と云うものは人々が必ず読まずには居られないものだが、さて夕刊を手にすると、読む所が少ない。新聞の本来の使命は事実の報道にあり、雑誌とは自[おのずか]ら異るけれども夕刊などにはもう少し雑誌的な所を入れても好いと思う。小説だけでなしに軽い読物風のものを掲載したらと思う。
 科学記事の杜撰な事は堂々たる大新聞にも間々[まま]見受ける。私等の書く探偵小説によく法律的な間違いがあるようで、法律家の方にはその間違いだけで、読む勇気を失うと云う人があるが、それと同じように、科学の事を少し知っている者が、科学的記事の間違いを見ると、それだけで、その新聞全体の信用を疑う気持になる。一方では、その新聞全体の誤り伝えた事を真実と思い込んで、憶えて終う人もあるから、新聞の科学記事の誤りは影響する所も少なくないと思う。一々実例を挙げている暇はないけれども、そうした間違いについては、私は度々経験している。
 近頃の新聞記事には、あまり、探偵小説家畑のものがないので、与えられた問題の範囲を脱している事を、読者諸君並びに編輯者にお詫して、筆を擱[お]く


(備考―管理人・アイナット編)≪新字体に変換≫
「探偵小説家の眼から観た最近の新聞の記事」というコーナーに収録。