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探偵小説はどうなったか

甲賀三郎
  

  探偵小説はどうなったか
 大正十二年江戸川乱歩が『二銭銅貨』を提[ひっさ]げて現われ、当時泰西探偵小説の紹介に余念なかりし森下雨村が推賞以[も]って彼の主宰する新青年に掲載して、ここに本邦探偵小説の礎[いしずえ]は築かれたが、爾来[じらい]正に五年、探偵小説はどうなったか。
 二銭銅貨以来、江戸川乱歩は『心理試験』によって、探偵小説家としての置位[いち]を確得し、『屋根裏の散歩者』及『人間椅子』で方向の一大転換をなし、短篇長篇で大いに奮った。大正十三年末、一年の欧米旅行を終えて帰った筆者は十四年から稍[やや]多く書初めたが、同年秋かねて探偵趣味の鼓吹[こすい]者として功労最も多かった小酒井不木が衆望[しゅうもう]を担って、『呪われの家』を処女作として探偵小説界に投じてから、先に江戸川乱歩によって、所謂文壇人に認められた探偵小説は、ここに小酒井不木によって所謂娯楽雑誌に進出するの機会を得て、一躍大衆小説の寵児たるが如き観があった。何と云っても、本邦探偵小説界は前掲の三人を恩人と云わざるを得ぬ。即ち森下雨村はその紹介者として、江戸川乱歩は探偵小説の置位[ちい]を高め文壇的に認めさせたる点に於て、又小酒井不木は一般娯楽雑誌に探偵小説を掲載せざるべからざる機運を作りたる点に於て、本邦探偵小説中興史の第一頁[ページ]に特筆大書すべきである。
 かくて五年前[ぜん]にスタートを切り、スタートを切るや否や娯楽雑誌界を風靡[ふうび]するの慨[がい]があって、多くの人に探偵小説黄金時代来たらんと予言させた探偵小説は爾来ここに五春秋、正にその黄金時代の来って然るべき秋に、果たしてどんな状況を呈しているか。
 探偵小説の前途を最も憂慮した一人は実に江戸川乱歩であった。彼は口を開くと将来はどうなるかなぁと云っていた。そのうちに彼は次第に遅筆となり、だんだん書かなくなり、探偵小説の書き初めにはいくらでも書けそうで、果して発表の舞台が与えられるかと心配していたが、今は舞台はいくらでもあって、種の方が尽きて終ったと苦笑していたが、とうとう『パノラマ島奇談』を最後として沈黙して終った。
 江戸川乱歩の沈黙は何と云っても探偵小説界の一大損失だった。今に書くだろうと云われながら、彼の沈黙は案外長く続き、先頃鳥渡[ちょっと]復活を思わせたが、結局駄目であった。(聞く所によると、彼は今度こそは見事に復活して、一大力作を提げて、新青年誌上に出現すると云う事である。この報は実に心から吾人を喜ばすものである)
 序[つい]でながら江戸川乱歩が本年度の探偵小説創作選集の序文に於て、寡作を推賞している様な口吻[こうふん]を洩[も]らしているのについて一言して置きたい。筆者はここに寡作と多作の可否を論ずる積[つも]りはなく、又少き傑作が多き駄作に勝る事は議論の余地はないが、筆者の云わんとする所は、江戸川乱歩が上掲の論拠としてポーとチェスタートン(も一人あったが今明瞭[はっきり]思い出さない、その上旅行中で手許に本がないので、確かな事は云えないが、岡本綺堂氏の半七捕物帳を引用したのではなかったと思う)を引用したのは承伏し難い。何故ならばポーやチェスタートンは専門の探偵作家ではない。ポーは元来詩人であり、チェスタートンは批評家である。詩人或いは小説家としてのポーの著作は非常に多い。チェスタートンについては知らないが、筆者の記憶の誤りでなく綺堂氏を例に引いたものとすると、同氏は劇作家であって、探偵小説家ではない。もしそれ氏の劇作全集を見れば、量に於ては正に江戸川乱歩を愧死せしめる程あると思う。繰返して云うが、筆者は寡作多作の可否を論ずるのではない、只乱歩が探偵小説家に非らざる二三氏の例を引いて、寡作を推賞するが如き口吻を洩らしているのを反駁[はんばく]するのである。江戸川乱歩よ、大いに書いて貰いたい。
 話が岐路にそれたが、さて探偵小説がどうなったかと云う問題である。筆者は江戸川乱歩が探偵小説の前途を憂慮した時に云った。乞う安[やすん]ぜよ。探偵小説は亡びるかも知れないが(、)箇々[ここ]の探偵作家はその力如何によって、必ず生き伸びて行く(。)君の如きは絶対に亡びる事はないと。
 そうして、事実不幸にして、筆者の言は適中して、正に黄金時代たるべき今日に於て、探偵小説は僅少の作家によって支えられている。探偵小説が作家を支持せずして、逆に作家が探偵小説を支持してるが如き現象を呈しているではないか。
 乱歩、不木或いは筆者と相前後して、本田緒生、山下利三郎、横溝正史、水谷準、大下宇陀児等あり、尚その後にも多くの作家が輩出した筈であるが、今日の不振は如何。今にして思えば三年前探偵趣味誌上に「探偵小説滅亡近し」と云う短文を書いて、センセーションを巻き起した川口松太郎は仮令[たとえ]それが深い根拠がなかったにせよ、会々[たまたま]以って彼がジャーナリストとしての一隻眼[せきがん]を備え、将来を洞察したるものとして敬服に値する。
 然り、筆者はジャーナリストと云った。即ち彼は当時プラトン社の苦楽を編輯[へんしゅう]して英気颯爽たりしもの、彼の前掲の言葉は正に編輯者の立場より発した警告だった。即ち今日彼の予言をして適中せしめて、探偵小説の不振を来たしたる最大原因は多くの作家がこのジャーナリズムを顧慮せず、甚しきは排斥をさえした為である。
 而してその依って来たる所は、江戸川乱歩及び森下雨村の無意識的に招知[しょうち]したものと云うべきであろう。即ち江戸川乱歩が文壇的に認められたる為に、ジャーナリズムを排斥する探偵作家は争って彼の後塵を拝した。由来文壇人はジャーナリズムを蔑視する(又はかの如く装う)、又実際に於ても純文学は決してジャーナリズムに支配されるものではない。筆者は必ずしも芸術至高主義を奉ずる者ではないが、芸術(ここではその一部門の小説)を最も高き価値の一に置いている。所謂文学青年が文壇的野心に燃えて突進して、ジャーナリズムを排斥するのは当然過ぎる位当然である。だから江戸川乱歩の探偵小説はジャーナリズムを超越した芸術小説なるが故に多くの崇拝或いは模倣作家を輩出した。所が、事実乱歩の作品は芸術的価値を十分に持ちながら、(この点は彼が常に気にしていた事で、彼は探偵小説は芸術なりやと云う質問を諸家に出して回答を求めた事さえある)一方ではジャーナリスチックの価値を多分に持っていたのである。この事は当時乱歩の崇拝者として(今でもそうだろうが)彼の二世位に云われ、文学青年的要素を多分に持った横溝正史が、かつては無論乱歩の芸術的価値のみ見ていたのだろうが、今日編輯者の立場に於て乱歩の作品のジャーナリスチックの価値を認めた事を、筆者に告げた事がある。然るに多くの乱歩模倣者はただその芸術的価値方面のみを見て、他の点を顧みなかった。その為に大衆向きの雑誌編輯者には全然喜ばれざるものとなったのである。
 さて、次に森下雨村の無意識的探偵小説不振招致は、彼が新青年に掲載する所の作品は常に厳正なる彼の判断に訴えてジャーナリズムに合致せしめる事を怠らなかった。けれども(この事は彼が名編輯者の令名高かった点から見ても、彼の批判力が何等意識する事なしに、ジャーナリズムに合致するものと云えよう)彼自身も亦[また]芸術論を首肯したのである。(之れはジャーナリストの立場からして、多少宣伝の意味もあったと思われる)之を逆に云うと、彼はジャーナリストの立場から、ジャーナリズムに合致する範囲内で芸術論を認めたと云えよう。
 森下雨村は前に述べた通り、ただに編輯者たるのみならず実に探偵小説の先駆者であったから、新たに出ようとする作家は、彼の指導精神に合致する事に勉めたのは蓋[けだ]し当然である。只、之等の作家がその指導精神の一方面のみを見て、探偵小説を文壇小説の範疇に列せしめる事にのみ努力して、一方の指導精神(即ち大衆に読まるべきもの、もっと分り易く云えば、誰が読んでも面白いもの)を見なかったのである。この事は決して森下雨村に罪はない。彼は凡そ雑誌に掲載されるべきものは、ジャーナリズムを無視して成立すべきものでない事を能[よ]く知っているから、殊更にその点を云わなかっただけで、指導精神を読み損ねた作家の方に罪はある。森下雨村は蓋しこの事を少しも意識していなかった。彼は後に一時的ではあったが、文藝倶楽部の編輯をやったので、始めて探偵小説の指導精神に誤りがあった事を悟ったような口吻を洩らした。然し、筆者が論じた如く、之は決して彼の誤りではなく、作家の方の読誤りであったのである。
 さて、以上の事は探偵小説を不振ならしめた遠因であるが、近因は何と云っても江戸川乱歩の沈黙である。探偵小説が大衆小説に分類されながらも、一脈文壇人との間に通じていた連鎖は彼の沈黙によって、全く断たれて終った。即ち江戸川乱歩以外の作家には文壇人の批評に上るような作家がなかったのである。この事は決して探偵作家を傷[きずつ]けはしない。寧ろ探偵作家の方で絶縁した形であり、文壇人の口に上るよりは寧ろ大衆へ進出する道を取ったからである。又実際に於て、一方大衆娯楽雑誌に進出しながら、尚文壇に認められると云う事は江戸川乱歩を復活せしめるか、或いは彼に匹敵する天才が出現しなければ不可能な事であろう。
 所で、この文壇との絶縁状態、大衆小説への進出は、文学青年的作家及び文壇的野心を有する作家(及び之と同じく分類せらるべき読者)を痛く失望せしめた。又一部の作家のうちには、この大衆文壇への進出期に際して、従来の主張を曲げる事を欲せざるもの、及び自家の作風をその方向に転換し能わざるものが続出した。ここに探偵小説文壇(そんなものがありとせば)は崩壊して、夙[さき]に予備に編入されるべき二三の作家のみが、大衆小説壇で健気ともまた惨めとも見える奮闘をしているのである。(彼らと雖も決して完全に大衆小説に転換し切っていない。それほど、案外な事ではあるが、大衆小説と云うものはむずかしいものである)
 さて、甚だ抽象的ではあったが、探偵小説がどうなったのかと云う事について、大略論じ尽[つく]した。
 次に起る問題は探偵小説はどうなるべきかと云う事だが、之は江戸川乱歩の復活振[ぶり]如何が可成影響する。彼の復活と共に又芸術的な探偵小説が台頭し、喜ばれるかも知れない。然し、現下の情勢では大勢は[たいせい]は既に極っているので、大衆読物として可成[かなり]の程度まで進出する事の出来た探偵小説は、今後益々この方面で活躍して行かなければならぬ。所が、大衆読物と云うものは決して生優しく書けるものではない。そのむずかしさの程度は芸術的な探偵小説を書くのと、少しも変りがないと思う。大衆向きのものを書くか、芸術的ものを書くかと云う事は、作家のタレントの問題であって、一方を尊[たっと]び一方を落すが如き見方は全然いけないと思う。
 兎に角、誰が読んで見ても面白いと云うのが大衆小説のモットーであって、探偵小説も既にそのカテゴリーに這入り、而も有望なる将来を持っているのであるから、作家たるもの宜しくその点に意を致すべきである。

  探偵小説と暗合
 いかなる事にでも暗合と云う事はあるから、殊に智的な取扱いを受ける探偵小説に暗合の起り易いのは止むを得ないが(、)その暗合が又暗合する場合が往々あるのは面白い。例えばいつか本誌の翻訳小説が三四篇揃って貸間の事ばかり出た事があった。之などは別に編輯者が貸間号としていなかった所を見ると、偶然に集まったものらしい。つまり貸間を題材に取ると云う暗合が、誌上で又暗合した訳である。
 之と同じようなことであるが、筆者がいつか、バース・マークのトリックを書いたが、それと同じ号にジミィ河野が同じようなトリックを遣[や]っていた。之などは単にトリックが暗合しただけでなく、同一の誌上で鉢合せをしたのだから、苦笑せざるを得ない。又最近に探偵犬を出すと、矢張同一号でセクストンブレークが探偵犬を出していた。之などは向うの方が無論先なのだから、こう真向に衝突すると些かこっちが辛い訳である。
 然し、探偵小説の作者はそう暗合を恐れる必要はあるまい。又読者之をそう咎める必要はあるまいと思う。実際に於ても近頃の進んだ読者は、トリックの暗合などには割合に寛大で、トリック以外に面白味を求めるようになっていると思う。

 探偵小説と筋
 探偵小説の筋は必ずしも複雑なるを要しないと思う。筋を複雑にしたと云う点では筆者も責任があるが、同時に編輯者翻訳者にも責任があると思う。編輯者は枚数を制限する上に於て、又翻訳者は抄訳する点に於て、探偵小説を非常に鋭角的なものに仕上げたのでないか。外国の探偵小説には本筋と関係のない描写が随所にあって、可成[かなり]寛[くつろ]いで読める。然し、一方から云うと探偵小説の読者は筋が早く読みたいのであるから、筋に関係のない描写などがあると、まどろこしいもので、そこの所だけを飛ばして読んだりする。そこで編輯者も翻訳者も贅肉[ぜいにく]を取って終って歯応えのある所だけを抄訳して紹介するようになったのだが、その為に作家も五十枚百枚としつくり書きたいし、又書けもするものを、二十枚に縮めて書かなければならぬようになった。尤も、ここにも作家のタレントの問題が起るので、簡単な筋で長いものを読ますのには余程の力量が入る。だから結局筋の複雑とか複雑でないとか云う事は箇々[ここ]の作家の問題に帰着する訳になるが、探偵小説と云うと短く書かされ勝[がち]な事も事実である。もう少し長く書かして貰いたいし、又そう云う事の主張出来る作家が早く出現せん事を希望する。


(備考―管理人・アイナット編)≪新字体に変換≫
括弧内の句読点は、底本原文にはないもので、編者が補助的に追加した