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◆鉄は赤き間に打て(マイクロフォン)

甲賀三郎
  

『探偵小説時代』は開幕せられた。序幕は将に喝采裡に終ろうとしている。来るべき第二幕はどう発展するだろうか。やがて暗転が来るのだ。舞台の電燈が消え失せて一瞬の後に華々しい明さを見せた時に、必ず見物をあっと云わせる場面があるに違いない。そうして登場俳優は第一幕に出演した俳優の幾人が再びそこに現われるだろうか?
 探偵小説の生命は独創と新奇とである。各の作家は各の独創と新奇とを持っている。が往々にして彼等は自己の編み出した独創と新奇の鋳型に陥り込んで終う。横溝正史、水谷準、城昌幸君達若き作家は、各の鋳型を幾度でも鋳潰し鋳直されん事を希望する。
 小酒井不木氏も鋳型に溺れんとする危険さを見る。『手術』に始まり『恋愛曲線』に高潮に達した氏の世界は追従を許さざる創意と驚嘆すべき珍奇が充満していた。だが吾人は倦き易い。新奇は遂に新奇でなくなり、創意は漸く硬化を始めた。
 思うに不木氏は透徹明快なる頭脳と鉄の如き意志の持主である。その為めに氏の世界には煩悶がない。不木氏の用うる主人公は尽く超人間である。常人のなし得ざる所を平然と且つ敢然と成し遂げる。『手術』然り、『痴人の復讐』然り、『恋愛曲線』然り、『秘密の相似』然り。吾人の不木氏に望む所は超人の強さを以ってせん事である。近代人の神経は強き刺激を求むる一面に哀むべき弱さがあるのである。
 正木不如丘氏と国枝史郎氏は共に一新型を開いた。『銀三十枚』は吾人を眩惑した。刮目して終篇を待つのである。『県立病院の幽霊』には地方色、若き院長の性格、院長の科学信念を裏切って不可抗的に進展して行く事件が巧に描き出されている。但し後半は稍曖昧で、燐を塗っていた為めに停電の際に幽霊に見えたと云う科学的な説明はなくもがなと思う。


(備考―管理人・アイナット編)≪新字体に変換≫
ルビは元々ない。。