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当選作所感

甲賀三郎

 本誌の懸賞探偵小説の応募作品が一五六篇に上ったそうである。いずれも百枚内外の力作と云う事であるが、仮に六十枚平均としても延枚数一萬枚に達する訳で、諸君の熱心と努力に対しては、探偵小説を今日の隆盛に導いた本誌の森下主幹は感涙を流した事であろうし、我々もどんなに気強く思った事であろう。
 私はこれ等の諸作の選をすると云うような僭越は敢えてしない。私は編輯局の厳選を経て、当選圏内にあると云う五、六の作を読ませて貰った。そうしてここにその読後感を述べたいと思うのである。
 私の読んだうちで記憶に残っているのは、「窓」「アヤカシの鼓」「左柳の死」「最初の検視」の諸篇である。
 私はこの中で「アヤカシの鼓」を第一に執る。
 全篇を濃厚に押し包んだグロテスクな気分鼓に纏る神秘と鼓師を取巻く世俗的な出来事が、互に絡み合って渦を巻きながら進展して、ある一つの焦点に不可抗的に収斂して行く所は得難い味である。名人の芸がユニクであると云う事もうなずかされる。残念な事は筆負がしている事で、鏡花の才筆あらしめばと思うのである。そうして一番残念な事は探偵小説と云うよりも、より多く怪奇小説の領分に這入っている事である。私はこの作を読んだ時に直ぐ好いなぁと思った。然し之が当選作では少し物足らないと思った。只何となくそう思ったのである。
「窓」と「最初の検視」の作者は共に司法行政の実際に通暁している人に相違ない。「最初の検視」には署長警部警部補巡査と云った人達が実に旨く書けている。ある殺人事件がサラサラと企まず曲げず、お茶漬を掻き込むように書けている。それだけ嫌味はないが、矢張り当選作とするには物足りない所がある。
「窓」は面白い形式である。種々[しゅじゅ]の報告書を羅列して行くうちに、だんだん事件の範囲を狭めて、犯人を確認しようと云うのであるが、私は之が小説と云えるだろうかと危ぶむのである。成程単なる事実の羅列でなくて、前後を按じ、重複を避け、よく塩梅して、間々に読者に暗示を与えて進んで行く所は立派に小説と云えよう。だが、結局あの報告書だけではあの結末を推断する事は出来ない。要するに始めて知った検事の捜索方針と、種々[いろいろ]の報告書の持っている面白味とがあるに過ぎないと思うのである。無論、それだけでも他の諸作と平行する価値はある。
「左柳の死」は失敗の作である。強いて幼稚なトリックを用いたりしたのがいけないと思う
 以上の諸氏の力作には私は充分敬意を表する。が、実を云えば私は内心失望を禁ずる事が出来なかった。私は密に圧倒的作品を期待していたのである。出なければならないと思っていたのである。
 百五十余人の未知の僚友並に明日の僚友諸君よ。切に奮闘を祈るのである。探偵小説界は入場無料[アドミッション、フリー]である。新興探偵小説界は江戸川乱歩小酒井不木の両氏を生んだだけで終わらしたくない。否、終るべきものではないのである。


(備考―管理人・アイナット編)≪新字体に変換≫
結局はこのうちの山本禾太郎「窓」と夢野久作「あやかしの皷」が二等当選で決まった。ちなみに一等は無し。