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優美典雅なるフランス国民

在フランス 春田能為
  

  ◇「巴里[パリ]は仏蘭西[フランス]に非ず」
 フランスは世界有数の百姓国である。国の東南部は稍[やや]高原性であるが、国内には見るべき山なく、只茫漠たる一面の平野に、所々に低き丘陵が起伏しているのみで、全面積の半ばは耕作し得られる土地であると云う。丘陵の上までもよく開かれ私がドイツからフランスに入った八月の始めは、恰も麦の収獲[とりいれ]時に当り、畑は半ば刈り取られ、半ば黄金[こがね]の波を漂わしてイギリス、ドイツの如き工業国にかつて見なかった壮観を呈し、百姓国に生れた私には実に嬉しく感ぜられた。既に述べた如く、イギリスは論外であるが、ドイツは工業と共に農業もよく発達した国ではあるが、私の見た範囲に於てはフランスの如く寸地をも開墾し、よく整理せられてはいなかった。宜[むべ]なる哉[かな]。フランスは小麦の産額に於ては、アメリカ、カナダの諸大邦とアルゼンチン――アルゼンチンと雖[いえど]もフランスに四倍余の大国である――を除き、他にその比を見ず、インド、オーストラリアの大邦の上位を占め、欧州に於てはロシアを除いて第一位である。さりながらその小麦は国民を養う余裕なく、時に輸入の必要あり、工業国がより少き土地と労働を以ってして多くの利潤を上げるに反し、百姓国の悲哀は、より多くの土地と労働を以ってして益少きもので、フランス人の生活も反[かえ]って、ドイツ人の生活より下位にある如く感ぜられる。然し、諸君。フランスはその本土の面積略[ほぼ]我国の本土に朝鮮を合したるものに等しい。而も上述の如く、平野に富み耕地の面積は我国に数倍する、而して人口は三千九百萬殖[ふ]えるより減る傾向があるのである。従って我[わが]国民より楽をしている事は無論で、小麦の耕作地は我国の田の面積に殆ど二倍する程持っているが、小麦の収穫は我国の米の収穫より少ない。云い換えれば、我国の農民諸君はフランスに半ばする田より、より以上の収穫を得て居るので、今更ながら農民諸君の勤労に感謝する外[ほか]はない。即ちフランス農民は牛馬を使役して耕作し、収穫にも器械を用い、肉体労働は我国の農民に比して遙に少い。之れ収穫の少き所以で、欧洲一般に生活程度高く、殊に都市の奢侈[しゃし]は独り農民のみを勤勉に止めしめる事が出来ようぞ。それでも農村は都市に比して遙に質素である事世界共通である。が尚且つ我国の全体の国民よりは楽な生活をしているのである。
 足一度[たび]パリーに入る時には実に其[その]華美の風に驚く。殊に私の如くベルリンに数ヶ月を送って、彼[か]の国人の質朴剛健の風に馴れた眼で見ると一層感じが深かった。而もパリーの暗黒面には淫蕩の風があると云う。人パリーの浮華[ふか]と淫蕩を見て、フランスの堕落を叫び、フランスが今にも滅亡する様に云うが、之[こ]れ当らず、彼[か]のニゥヨークがアメリカにしてアメリカに非[あら]ざる如くパリーは又フランスにしてフランスに非ず、実に国際的の性質を帯び、外国人に提供したるが如き観がある。華美はパリーの風習であって、パリーに住まんとする人は見すぼらしい風では歩けない。為に一方には非常なる節約をなして争って美服を纏う。その愚[おろか]や笑うべしと雖[いえど]も、之パリー特有の風であって、フランスの全部ではない。淫蕩の風はその暗黒面である。いずれの都市か暗黒面なからんや。殊にそれらの暗黒面は多く外国人に秘密に開かれているものであって決して公開せられているものではない。外国人は喜んでかかる所に遊び、、よく金を散じ、又よく秘密が保たれる。彼[か]の客引の徒輩[やから]が外国人と見ると、直ちに引き入れんとするのもその為めである。誰[たれ]か我が東京市又は横浜市に震災前[ぜん]外国人相手の淫蕩なる秘密場所なかりし事を断言し得[う]るものぞ。パリを淫蕩なりと喋々[ちょうちょう]するの徒は自分がかかる場所に立ち入った事を広告するもの、私はパリー市独り淫蕩の名を受くる事なしと信ずるものである。
 唯欧米人の奉ずる道徳率は稍[やや]吾人の奉ずる所のものと違う道徳の根源に至っては元より変りはなかろうが、運用上に変りがあるので、道徳と雖[いえど]も風俗習慣によってその適所を変ずるのは当然で、彼等の面貌[かおかたち]が吾人のそれと異なる如く、風俗習慣の亦異なるのも自然の勢である。殊に女子の抱ける道徳観は日本のそれとは著しく異なるものがあり、その是非を論ずる暇はないが、彼我[ひが]共に長所短所があり、一概に欧米人の抱く道徳観を以って我にことごとと劣れりと云う訳には行かぬ。只困るのは我国民の悪い所ばかりを真似たがる事で、東京の女がニゥヨークやパリーの女の真似をしようとすれば以っての外[ほか]である。

  ◇都会から見た国民性
 フランス人より華美の弊を除く時は、真に優美典雅、文明の極[きょく]よく人をしてこの境に至らしむるかと云う感がある。殊にパリーはフランス人の中心、フランス人の尤[いう]なるものを集めているから、実に落着のよい、居心地の好い所で、世界各地斯くの如くんば人世に闘争は絶えるだろうと思われる。市中至る所に緑樹天を摩する樹街があって、道路はさながら公園の如く彼[か]のシャンゼリゼィ街を凱旋門に向って歩む時の気持の如きは到底他の都市に求められない所である。シャンゼリゼー街を凱旋門を後ろにして進めば、コンコードの広場に達しチウィレリィの庭よりルーブル宮に達す。宮殿化して今は博物館となっているが、古色を帯びて閑雅、昔時王者の豪奢を思わしめる。有名なるエッフェル塔のあたりも実に棄て難い趣があり五十余年昔この塔を建[たて]たパリー人に敬服する。聞けば彼[か]の三〇〇メートルの頂上に昇るエレベーターは電働機の発達せざりし当時とて水圧機を以て動かしていると云う。兎に角素晴しいものを立てたものだ。然し私をして云わしむればエッフェル塔はパリー市の調和を破っている。文明を誇る鉄骨三〇〇メートルの塔は、歴史の追憶に資する所がない。彼[か]のニゥヨーク市の如きは、建設以来日浅く、且つ建国以来共和国の悲しさ、栄華の跡を止むべき何者も持たず、只エッフェル塔式に、上へ上へと物質文明を誇って積み上げた都市である(。)又ロンドンは蕪雑汚かい(*)無茶苦茶に広げた都市、ベルリンは真に秩序整然智嚢[のう]を絞ってこしらえ上げたと云う町であるが頗るプロシア臭を有し雅致[がち]に欠けるところがある。
 之らの代表的都市は各々その国民性を代表しているが如き感がある。即ちパリー市は感情其のものの如き感があり、ベルリン市は理智を表わし、理智に基く感情を加味したるもの、ニゥヨークに至っては物質その者を表わしている感があり、ロンドンは無雑作と不精を表わしている。感情を重んじない国民は恐ろしい国民である。この意味に於て恐ろしきものはドイツとアメリカである。一は既に傷を負った。而して今の世は不精者の天下である。
 フランス人の黄金時代は遠き昔に過ぎた。フランスは戦争すべき理由もなく、又戦争の出来る国民ではない。ドイツと境を接し、海岸に大砲を据えると弾丸が達[とど]くと云う所にロンドンがなかったらフランスは夙[つと]にスペインになったに相違ない。沃野千里農業盛んにして、人口の殖えない国に戦争の必要がある筈はない。之に反してドイツには戦争する理由があったと云える。何故なら彼はフランスと同様の面積に――但[ただし]耕地は多い――六千萬の人口を抱え、その人口の増加率は我国の上位にあり、領地は我国同様甚だ少ない。我国は欧米の天地に隔絶して、彼[か]の生活状態を審[つまびら]かにしなかったので質素勤勉営々として働く美風があって、敢えて他人の国を望む必要はないが、ドイツ人いかに勤勉なりと雖も、傍の釣合[つりあい]上到底日本人程は働けない。これ戦争のすべき理由のあった所以でドイツは 今でも頑強に世界戦争の責任を拒否しているが、私がベルリンで或るドイツ人に、ドイツの目標はイギリスでフランスではない。イギリスに勝てる見込みのないのに戦争した愚[おろか]を笑ったら、仕掛けられた戦争は仕方がないと答えた。軍事通の談を聞くに、ドイツにかかる大仕掛の戦争の用意のなかった事は事実らしく、種々の兵器も戦争開始後発明製造せられたものが多いそうである。尤もドイツに戦意がなかったと云う事は、イギリスと闘う心算[つもり]がなかったというのである。その心算[つもり]もあの当時なかった丈[だけ]で、いずれはあるに違いない。イギリスは実に好[い]い時にドイツを倒したものである。ドイツ人も理智は勝れているが、物事を理屈の一本押しで進もうとする弊があるので、詰らん所でイギリスにしてやられたので、ドイツに取っては千載の恨事と云うべくイギリスにとってはもっけの幸[さいわい]であった訳である。

  ◆似非[いせ]非平和論に迷う勿[なか]れ
 歴史を飜[ひもと]くに、凡そ民族或[あるい]は国が新しく興らんとするや必ず古くから頑張っている国を倒さなければならぬ。是[こ]れ恰も角力で久しく横綱を誇るものを、新[あらた]に新鋭のものが現れて倒すようなものである。スペインが強を誇っていた事もあった。フランスが欧洲の大半を制した事もあった。ロシアが覇を唱えた時もあった。近くはドイツ帝国の勢隆々たるものがあった。之等のものを順々に退治したのが大英帝国である。イギリスの覇権は偶然じゃない。イギリス国民覇権を握る事久しく、稍[やや]懶惰[らんだ]に陥り、不精になったが質実の風を失わない。永く国威を失墜しない所以である。近時世界大戦の惨禍に鑑み、平和を欲するの念昂[たか]まり殊に近年世界の大勢たる労働者の政治的、社会的地位の向上と共に、戦争を以て資本主義の弊とし、資本家に対抗して、労働者の団結を以って戦争を防止しようとする運動が表われた。私も亦大いに賛成する所である。さりながら、我国の労働者諸君が加入せらんとするに当っては一言[いちごん]したい事がある。
 誤解をせられては困るが、日本に戦争の必要があると云うのではない。然し広大なる面積に小数の人口を有する国と、それと全く正反対の国とが握手して喧嘩を止そうと云う場合同じ労働者でも彼方[むこう]の方がでぶでぶと肥っているとあって、之は少し不公平ではなかろうか。本当に戦争を止そうと思えば世界の社会主義を行って、人口数と其[その]増加率の複比で世界の価値面積を接分比例しなければいけない。そうすればお互いに喧嘩する理由がなくなるから戦争はなくなるに違いない之は空想に等しいものだが、少くとも労働の国際的自由だけは訣めて貰わなくは労働者の国際同盟も役に立たんと思う。
 話は岐路に入ったようであるが、要するにフランスは平和そのもののような国で、隣強ドイツを恐れて、世界第一の陸軍を苦しい財政の中から養っているが、決して戦わん為めではない。フランスに戦争の理由のない事は、人口の増加しない点からでも肯[こう]出来る。人口制限問題は日本でも考える価値があると思う。然し青年諸君よ。人口制限は俄[にわか]に行う事を得ず、労働の自由又英、米阻まれてならず、地球上の耕地整理は空想に過ぎないとしたら吾人はどうすればよいか。
 軍備縮小は夙[つと]に吾人の要望した所、近くその実を挙げられると云う。然しながら吾人の軍備縮小を望む所のもの軍備の負担重くして、他の重要なるべき施設に影響する所を恐れるものであって、誰か将来戦争なしと予言し得[う]る者ぞ。不生産的なる軍備を廃して之を生産事業に宛てる事は当[とう]を得たる事であるが、軍備を縮小すると同時に我々は一朝事ある時は奮って国防に当るると云う、真に国民皆兵の実を挙げたいものである返す返[がえ]すも似非平和論に迷わされて、柔弱虚隋に陥らざる事必要で、世界の強国挙げてフランス国民の如くなるに非ずんば気を許す事禁物である。

  ◆青年諸君に望むこと
 されば青年諸君に希望する所のものは第一に強健なる体格を養う事である。日本国民の頭脳の明敏なる事は世界に冠●[せつ]する。欧米国民の如き何も恐れる所はない。只敵わないのは富と体格である。欧米国民の男女共強大頑健なる身体は実に羨望に値する。私は身長一メートル六四(五尺四寸)体重七十一キログラム五(十九貫)あって日本人としては身長は中位であるが、体重は上位で先ず大きい方である。然るに欧米へ来ては平均以下に位し、只身長と体重の比が勝っているだけである。更に彼等の頑健なる点に至っては、驚嘆に値する。彼等は夜随分遅くまで遊ぶが、それが為め翌日の仕事に影響すると云う事がない。酒も随分呑むが端然としていて取り乱すと云う事がない。何里歩いても疲れると云う事を知らない。日本では半日も汽車に乗って人の宅に行くと、すぐに疲れたろうと枕を出す。欧米人は汽車に乗って疲れるなどと云う事は知らない。大きな荷物を両手にぶら提げて平気で運ぶ。もしそれ彼等の色光沢のいい事、之はとても東洋人の敵わん所であって、日本で見かけるように青年がハンカチを頸に巻いて薬瓶を提げて歩いているような事には絶えて出会わない。女とてもその通りで、男と一緒にどんどん歩くし、ボートも漕げば自転車にも乗る。欧米の女と日本の女の体格の差は男子間のそれよりも更に甚しく思われる。
 身体を練るには運動を以って第一とする。余の希望する所は当局及地方有志が各村に運動場を設け、必ずしも上手にならなくてもいいが無茶苦茶でも興味が少ないから、適当の指導者を得て洩れなく、時間の余裕さえあれば運動する事にしたい。之は俄[にわか]に行えないかも知れんから、私は先ず遠足をすすめる。殊に都市商家の子弟は之に限る。
 第一服装である。之は洋服に限る。体裁と地とは問う所に非ず、安い地で結構、筒袖の衣袴[いこ]でさえなければ宜しい。成るべく女子にも洋装して遠足の仲間に加われん事を希望する(。)但し断じて男子と同歩調でなければいけない。汽車に乗るなどは以っての外、背中に背嚢を負い、その中に糧食を入れる。握飯で差し支えないが、私の持論としては貯蔵し得[う]る糧食パンの類を希望する。夏期握飯の如きは一日で腐敗する。こんなものは有事の際に役に立たない。多人数の時は皿類にアルコールランプを所持して、山野で調理するのも面白かろう。但[ただ]火の用心の事。日数[ひかず]が許せば天幕[テント]を携えて行くのもよい。遠足の場所はなんのかんのと贅沢を云わず、山野を駆けめぐる事それだけで興味津々である。日本見たいに風景勝れたる所に居ればこそ、彼処は詰まらぬのなんのと云うけれども、欧米の如き殺風景な所では、日本人などの見向きもしない所へ有難がって遠足している。商家も農家も能う限り其[その]子弟に休暇を与える事にして、その休暇は遠足に費[つか]って貰いたい。雨が降っても行[や]る事、世界文明国で雨を恐れる国民は日本を以って第一としフランス之に次ぐ。尤も之はパリーの話で彼等は美服を纏っているから惜しいのだ。英、米、独の国民は雨を恐れない。アメリカ人は傘すらささない。更に機会があれば騎馬、射撃などは尤も興味あるもの、総じて人間は強制せられるといやがるが、同じ事でも自由に自分の趣味でやる時には面白く熱心にやるものだ。斯くして労苦を厭わざる風と、身体を強健にして愉快に此世を送る基[もとい]を養成すべきである。
 私はフランスに居る事日浅く、而もその大部分をフランス語の稽古に費[つか]ってたので、フランスに於ては、かの国民が優美典雅にして、実に平和なる国民なる事と、その国が実によく整ったる百姓国たる事を見出したるのみで、今は更につけ加える事を知らない。他日の機会に譲る事とする。(大正十三年九、一〇)


(備考―管理人・アイナット編)≪新字体に変換≫
二番目の大段落【都会から見た国民性】の第一段落末方にある、汚かいの「かい」は、さんずい編に「會」という字
最後の大段落【青年諸君に望むこと】の第一段落にある●は判読不能文字だった
(。)は私が便宜的に付けた句読点。