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大都会の停車場景風[ふうけい]

甲賀三郎
  

 生中な発音でビクトリヤと云うよりはトーリヤと云う方が分りが早いと云われるビクトリヤステーションは英帝国本土の首府ロンドンの大玄関だ。大陸からイギリス海峡を渡って来た旅客はみんなここに着く。くすんだ石造の、ステーションと云うよりは博物館を思わせるような堂々とした建築だ。大方の旅客は、然し、ここではあわただしく広場に蝟集[いしゅう]しているタキシに吸われて飛んで行く。
 探偵小説で馴染の深いチャリングクロスには同名[みょう]の停車場がある。ヨーロッパの市中の停車場がどこでもそうであるように、汽車の止る上は大きな蒲鉾型の屋根に蔽[おお]われている。不透明の硝子が嵌[はま]っているが、屋根の下はひどく陰気だ。チャリングクロス駅の前はストランド通り。雑踏の中で可憐な花売娘や、むくつけき男がコップの中で開く造花を日本の特産物だと大きな声で怒鳴っている。
 いつ通って見ても不可思議に堪えないのはウオターロー停車場だ。停車場[ば]の上、いや横には蜘蛛の巣のようにサブウェイが通っている。サブウェイと云うのはアメリカで云う地下鉄の略語ではない。イギリスでは地下鉄の略語はチゥーブだ。サブウェイは文字通りの地下道で、地上の交通で徒歩者に危険であり疾行者には徒歩者が邪魔であるから、補助道として地下道がある。薄暗いトンネルをロンドン人は宙を飛ぶように往来している。その地下道の側面からウオターロー停車場[ば]が見下[みおろ]される。停車場は地下の又地下にあるのだ。変にミステリアスな停車場[ば]ではある。
 ベルリンのアンハルター停車場[バーンホフ]。駅前にズラリと辻馬車[ドロシユケ]の番号を書いた札を呉れる。辻馬車[ドロシユケ]は停車場[ば]の、いや、ベルリンの一風景だ。
 停車場に料理店理髪店売店のあるのは日本でもその通りだが、浴室[バス]があるのは西洋独特の風景ではなかろうか。
 停車場の一隅にズラリと共同便所を思わせるようにバスルームが並んでいる。番人は大抵老婆だ。料金は五十銭位、老婆に五十銭玉を渡すと、扉を開けて呉れる。旅客は荷物を中に持込んで、徐[おもむ]ろに裸体となって悠然と風呂に浸って、煤煙に汚れた身体を清めて、出て来る時にはネキタイの結目も活々[いきいき]としている。
 プラットフォームの売店。之も欧州停車場の添景物だ。短い停車時間、汽車の来るのを待ち合せる間に、ドイツ人はソーセージの煮込みを手掴みで食べる。イギリスではウイスキーの立呑み。一等売店と三等売店が分れているのは、イギリス特景である。
 パリの北停車場[ガールドノルド]。どこの国でもそうだが、停車場には華やかな女性は居合さない。シャンゼリゼイ街や、イタリー街や、さてはモンマルトルの眼を見張るような女性はどこから来るのか。停車場[ば]の開札口を潜るのは多く手に籠をブラ下げた田舎の老婆。パリ市には特別の税が課されているから、開札口をゾロゾロ出て行く旅客は税関吏に手荷物を改められる。燐寸[ザリメエ]などが喧しい課税物だ。
 パリの地下鉄の停車場[ば]は多く広場にある。エトワル広場の凱旋門の入日は都会で見られる絶景の随一であるが、トロカデロ広場からエッフェル塔を見た景色も捨て難い。地下鉄から出て、青々とした風景にホッとするのはパリの特有である。
 欧州の首都の停車場のいずれも小ぢんまりとした錆のある建物であるに反して、ニゥーヨークのそれは何と馬鹿でかく威圧的であることであろう。セントラルステーション、ペンシルバニアステーション。真四角な何の変哲もない建物。数千人を入れると云うホテルを持つステーション。タキシは洪水のように特設の自動車道を流れて街路に出る。それは恰[まる]で人造のトンネルだ。
 サブウェイの目まぐるしさ。タイムズ広場の地下鉄の停車場には何条となくレールが錯綜して、急行普通の数台連結の電車がゴーと云う物凄い響を発して飛違っている。恰[まる]で気が狂ったように。鉄のような神経のものでなければ、一分だって立ってはいられない。地下鉄から地上に出ると、そこは又地獄のような雑踏だ。パリのように老樹森森[しんしん]と茂って、行人[こうじん]稀なような風景は薬にしたくてもない。
 然し、首都ワシントンの停車場は流石にどっしりした建物で、首都らしい落着[おちつき]を見せている。駅前はコロンブス広場、記念塔が聳えている。
 停車場。それはどこの国でも殺風景の代名詞だ。あわただしい人生行進の一縮図だ。近代の親不知だ。ここではすべての人に余裕がない。余裕のない時には美人も美しく見えない。停車場の風景。それは殺風景の風景である。


(備考―管理人・アイナット編)≪新字体に変換≫
「停車場」が鉄道の「駅」と同じ意味であると一応ながら注釈しておく。なお便宜上ルビを振っていないは「テイシャジョウ」、ルビ付加は「テイシャバ」にしたが、特に区別してなさそうだ。