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難い哉本格探偵小説

甲賀三郎

  懸賞当選作に「股から覗く」と「綱[ロープ]」を得た事は大なる喜びであります。両者ともその文章その構想共に既成作家の水準を十分に突破しています。
「股から覗く」を第一位、「綱」を第二位に置く事も恐らく誰人も異論ありますまい。
「綱」は総括的に云えば新味に乏しい、形式的にも又内容的にも。但可成手堅い作品です。
「股から覗く」は股から覗く所の変態的な人間を巧みに描き、巧みに駆使している。我々の興味は殺人事件其のものでなく、むしろこの変態的人間の身の上にある。殊に汽車に追われながら往生を遂げる所は実に巧みです。
 只、探偵小説的のトリックになると遺憾ながら両者とも可成の破綻を見せています。それは本格探偵小説がいつでもそのトリックの上で非難される如きものではあるが、両者共に脳漿を絞って水も漏らさぬように仕組まれたものが、尚且つ斯くの如き破綻があるとすると、以って本格探偵小説のいかに作り難きかを嘆ずるの外はないでありましょう。
「綱」に或る不満足を感ずるのは結末の遺書です。あの遺書はどうしても不自然です。もし強いて遺書を必要とするならば、それは出来るだけ簡単であって、例えば単語の羅列の如きもので、むしろ勝れたる推理者でなければ判読する事の出来ない程度であって欲しい。そして事件はあんなに明細を極めた遺書で解決するのでなくして、やはり篇中の人物判事の推理によって解決する事にしたいと思います。序でに申しますが、あの判事は余りに冷酷で無理解です。初めから男女二人を殆ど被告人、むしろ罪人をして扱って、少しも二人の心理の中に這入って行こうとしていない。願わくばもう少し人間味を持たして貰いたかったと思います。
「股から覗く」のマラソン中の殺人のトリック、あれは私は全く不可能事だと思います。かく云うと作者は定めし腹を立てられるだろうが、そして限られたる紙面では委細を尽くす事が出来ないが、異論があるならば改めて議論をしても好いと思います。けれどもこの事は決して全篇的に至って致命的な打撃ではありませぬ。例えば江戸川乱歩君の「屋根裏の散歩者」の殺人も断じて不可能時事なのでありますから。そしてあの作が傑れたものである事も異論がないのですから。
 先ず通関証の係りの人が先頭の一人が到着して走り行く後姿をいつまでも眺めないと云う事はありますまい。神戸全市に大きなセンセーションを与えた催でありますから。
 が、仮りに通関証係を欺く事が出来たら、立派なアリバイを生じたのですから、何を祭んで危険を冒してマークをひっくり返えす必要がありますか。
 考えても御覧なさい。彼のなすべき事は通関後岐路に這入って、人知れずマークを引っ繰り返えし、線路の向うへ出ると、丁度犠牲者が駆けて来て、而も汽車が走って来る。嫌疑をかけるべき第二の犠牲者は踵を接して走って来る。この第二の犠牲者が余りに離れて走っていれば嫌疑をかける事が出来ません。彼も丁度汽車の通過する時分に踏切の近所に来ていなければなりません。
 彼は犠牲者の汽車の下敷にした後、再び岐路を取りマークを引っくり返えし、何喰わぬ顔をして順路に出る。その時には嫌疑をかけるべき犠牲者は彼に接近して走っている。(接近して走ってなければ嫌疑をかける事は出来ません。)こんな際どい芸当が、而も彼と第一及び第二の犠牲者の関係的位置が踏切を汽車が通過すべき瞬間に於て必ず一定であらねばならぬと云ったような事が出来ましょうか。
 のみならず、何故彼は危険を冒して(現に人に見られて、)二度までも溝の中に這入りマークを引っくり返えす必要があったのでしょうか。マークを引っくり返えしても人が見て呉れなければ何にもなりますまい。彼は殺人の現場[げんじょう]で人に見られる事を予期しましたか。彼は殺人の現場では人に見られる事を予期して、二回の溝の中の仕事では全然人に見られない事を予期したのでしょうか。マークを引っくり返えして嫌疑を他に向けると云うのも余りに幼稚なトリックではありませんか。
と書き立てると、恰で攻撃を事としているようですが、決してそうではありません。私は只殺人の計画が不自然過ぎる事を指摘したので、それは本格探偵小説がいかに作るに難いかと云う事の例証としたかったに過ぎません。
 前にも述べた通り、「股から覗く」一篇は殺人の手段の如何によって価値に影響する所は甚だ少ないのです。股から覗くなる人間が殺人事件の渦中に投じて、自ら笛を吹き自ら躍り、遂に宿命的な死に方をするのが誠に面白く而も巧みに書けています。
 繰り返えして申しますが、当選にこの二作を得た事を深く喜んで居ります。


(備考―管理人・アイナット編)≪新字体に変換≫
『懸賞小説を読んで』という葛山二郎、瀬下耽二人の当選作に対する既成作家の感想の一つとして収録。
特に私が備考を残すようなこともあまりないが、参考までに江戸川乱歩は瀬下耽の「綱」の方を第一位に、「股から覗く」を第二位としていた。また水谷準は「股から覗く」の葛山二郎をその作風初期本格を書いた乱歩との類似性から小乱歩と称し、これはなかなか言い得て妙と思われる。というのは葛山二郎「股から覗く」は、甲賀が違う意味で言及している乱歩の「屋根裏の散歩者」のような怪奇味ある初期本格探偵小説と一脈を通ずるものが感じられるからである。