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帰納的なりしを憾[うら]む

甲賀三郎
 

 終篇は未だ読んでいない。雨村兄の話では前半は第五回までの執筆者の矛盾誤謬などの弥縫[びほう]で、後半は不木兄一流の頗る明快な驚嘆すべき解決であると云う事だ。自分などは随分と迷惑をかけた事だろう。前半を読まない中[うち]から恐縮している。
 僕なぞ別に云う事はないのだが、読者諸君の知らない事で苦労した事は、第三回までは新人物を出しても好[い]いが、第四回から端役は兎に角主要人物を新[あらた]に出してはならんと云う約束のあった事で、之は四回以後でヒョッコリ出て来た人物が犯人だったりしては誠に興味索然とするから当然の事だが、鳥渡[ちょっと]辛い所だった。それに第四回で終末を予想する懸賞の締切となるし、後は二回しかないし新人物は出せず、どうしても結末への暗示、つまり事件を結末へ導く道程を勤めねばならぬ。
 所で、ここで鳥渡[ちょっと]前二者への不満を書くが第二回、第三回共にどっちかと云うと結末への道程であって、事件を茫漠とした掴み所のない、訳の分らぬ物に書いてない。寧ろハッキリとした手係りの多い、推測のつき易い事になっている。私としては、前回までは訳の分らぬ、何とも推測の下し様がないと云う風に事件が発展してる方が有難かったと思う。
 も一つ之は大きい声で云うが、二回三回共、第一回に於ける唯一の女性、艶子を抹殺同様にしていたのは不服だ。彼女には相当の役割を演じさせたかったと思う。と云うものの、第二回の明快な推理と第三回の楽々とした書き方、殊に人物の出入[だしいれ]など敬服の外はない。
 それから第一回の文章、之は全く感服の外はない。当代長篇小説の第一回をあれだけ書ける人は鳥渡[ちょっと]少い。構想も亦凡ならず、江戸川兄を第一回に推した僕の鼻も亦高い訳だ。
 第五回も実に旨い。第四回の後を忠実に受けて、而も充分読者を惹きつける。流石に筆の功を積んだ人だと思う。あれを読んで、僕自身の稚拙さ、ギコちなさが気恥[はずか]しくなった。
 こう云う風に一回々々[いっかいいっかい]の面白さは充分ありながら、全体として探偵小説的魅力の少なかったのは、互に連絡のない合作と云う事もあったろうが、誰やらも云った通り、事件に対する疑問が小さかった。つまり余りにハッキリし過ぎて、ミスチリアスの部分が小[ちい]かった(。)もう一度云い変えると、発端の疑問的事件を余りに帰納的に扱った為で、僕の立場としては勝手ながら、罪を僕より前二回の作者に持って行きたいんだが、公平な読者はやはり自分もその中へ入れるか知らん。


(備考―管理人・アイナット編)≪新字体に変換≫
【「五階の窓」執筆に就いて】というコーナーに収録。なお、初の連作探偵小説である『五階の窓』のメンバーは順番に江戸川乱歩、平林初之輔、森下雨村、甲賀三郎、国枝史郎、小酒井不木の六名。ちなみに最終の小酒井不木は《著しくラクにしてくれた》と第四回の甲賀を最も高く評価していた。また第五回の国枝史郎は、甲賀の第四回のある部分を《艶子の親と西村との関係を、探偵することによって結び附けず、作者が説明して了[しま]ったのは些か探偵小説の約束を破った感があって鳥渡私には変に思われました。フロイドの精神分析を持ち出した以上、それであれだけの関係を発見すべきだと思います》とのことだが、私が少し弁護をすると、枚数の関係上、どう考えても止むを得ないと思われる。その理由は甲賀のこの文章が示している通り、平林初之輔、森下雨村の罪であるし、犯人当て懸賞小説の〆切の号という問題もあったからである。
で、所謂(私の編集註)に移るが、まず最後の段落にある(。)というのは原文にない句読点だが、明らかに必要な部分であり、何より読みにくくなるのでつけ加えておいた。 それとその手前の《小[ちい]かった》、原文でも《小[ちい]かつた》(括弧内はルビ)となっており、甲賀自身あるいは編輯部の誤植のようだ。
更に加えて根本的な『新青年』編輯部の編輯ミスがある。175ページと176ページの順番を間違えており、この評論も174、176、175の順番で読まなければならなかった。
【この文章は確認校訂を済ませています。】