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マイクロフォン(正月号読後感)

甲賀三郎
 

 久し振りで江戸川乱歩君の作品に接した。文章は何となく生気に乏しいような気がするが、筋は中々好[い]い。よく纏っている。甲賀三郎あたりが、芝居の大道具のような仕掛けを用いて、四苦八苦している見苦しさに比べて、渾然として落着いている。結末の小共の発見する件[くだり]は一寸法師にもあったと思うが之も好[い]い。只呑み込めないのは先妻が二年程前その転地先で死んだのである。と書きながら、死体が隠されている事で、之は行方不明になったと云う間違いではなかろうか。とすると、失踪後三年を経過しなければ離婚が成立しないから二年前を三年前と訂正した方が好[い]いと思う。それは兎も角として、先妻が行方不明になっている事を、而も兄の友達であって、以前から交際しながら、後妻が知らなかったと云う事は常識で鳥渡[ちょっと]許せない。が、知っているとすると、どうも筋を割って終いそうな気がするので、作者も態[わざ]と知らない事にしたのだろうが、筋も割らず、出来るだけ矛盾しないようにして行くのが、探偵作家の一つの手腕なのだから、この点を再考して貰いたいと思う。
 小酒井不木君の見得ぬ顔は堂堂たる大作だ。鳥渡[ちょっと]論文を読むような所があるが、思いつきは全く素晴らしい。誰でも思いつきそうな事で、中々そうではない。熱と力も十分である。只難とする所は、弁護士が女の話を真実と思い込む、之が全篇の骨子で、十分首肯できるが、女の方が、可成聡明な女でありながら、弁護士の態度から、何故自分の思い違いを悟らなかったろうか。尤も女は先入観に捉われもので、弁護士を犯人と思い込んで、そんな余裕がなかったのだろうが、それならそれで、もう少し女に皮肉な態度があっても好[い]い。犯人はお前じゃないかと云う所を匂わして好[い]い。尤もそうすると筋を割る恐れが生じる。兎に角、女の態度が真剣なだけに、読後鳥渡[ちょっと]そうした矛盾を感じる。
 大下宇陀児君の星史郎懺悔録は期待しただけに失望した。之だけでは角田喜久雄君のあかはぎの拇指紋以上の作とは云いかねる。作者が真向[まっこう]から書いているので、星史郎の云う事に筋道が立ち過ぎて、怪奇味が少しもない。無論、星史郎の罪を断じて疑わぬ。が、それは作者が意図した所ではないのではなかろうか。
 伊藤松雄君の新聞切抜帳は奇抜なそうした成功した試みだった。面白く読んだ。只、ポストと云う投書欄を、宛も映画の字幕の如く、ポツンと一つ出したのは不賛成である。作者が読者に教えて了[しま]った感がある。あれは無意味なポスト欄をもっと出すべきで、その中から有用な投書を拾うのを、読者の一つの仕事にさせて貰いたかった。
 妹尾[いもお]韶[あき]夫君の凍るアラベスクは乱歩君の鏡地獄に比して、氷地獄とも云うべきものだ。怪奇と科学を綯[よ]り合せた所に妙味がある。好[い]い作ではあるが、書き方に余裕があって、読者に息をつかせたのは失敗だと思う。この種のものは読者に休息を与えず、一気に読ますべきで、多元的描写より一元的描写の方が適していると思う。


(備考―管理人・アイナット編)≪新字体に変換≫
《新青年》昭和3年1月号の感想である。冒頭の乱歩の作とは、「あ・てる・てえる・ふいるむ」であり、実際は横溝正史《新青年》編輯長主幹の代作。甲賀も騙されてるようであるが、最も評価しているのは筋で、文章には生気が乏しい、つまり乱歩独特の魔力がないことは見抜いている。まぁ、これは横溝の作品も印象に残るほどの面白さであるし、少し騙されても仕方があるまい。しかし物凄いのは横溝、自分の代作がある号の感想を甲賀三郎に求めるとは!しかも乱歩久々という事で確実に触れられるのがわかっているのに・・・、多分甲賀への依頼は乱歩がプレ「押絵」を破棄する前で、横溝としても、乱歩から原稿が頂戴出来ると信じていたからだとは思うが。
不木の「見得ぬ顔」は確かに法律的心理的探偵小説の傑作。まぁ、甲賀の指摘点読後の微妙な矛盾も確かと言えば確かだが。
それと最後の妹尾[せのお]のルビが[いもお]なのは謎としか言えないことをつけ加えておく。