【「甲賀三郎の世界」トップに戻る】


正月の探偵雑誌から

甲賀三郎

 小酒井不木氏は『恋愛曲線』(新青年)で成功して、『人工心臓』(大衆文芸)で失敗した(。)『恋愛曲線』は母体を離れた心臓が皿の中で疑血を送られてドキンドキンと●動すると云う事が如何にも神秘的で相愛し合った男女が心臓を結びつけて恋愛曲線を残して行くと云う所が怪しくも亦ローマンチックで著者を引きつける所があったが『人工心臓』になると、鋼鉄製の心臓がモーターによって動くと云う、魅力のない科学●になって終って、科学は単に機械的●●を与えるのみで、感情などを送り出す事は出来ないと云う主題も、目新しいものでなく、初めと終りの二三頁を覗けば作全体の(*)結●が推定出来るような奥行の浅いものになった。
 平林初之輔の「予審調書」(新青年)は纏まった佳作である。探偵小説通有の弱点と云えば云える●、作の中心となるべき死体の取扱い方が少しく不自然で、嫌疑者たる息子が、寝台の下敷となった婦人の冷い死体を、即座に自分の過失で殺したと信じ、之を眺めた父(*)親(*)が又之を信じるのに余りに軽卒である。この所一工夫欲しい。それから判事が始めから息子の無罪を●[し(*)]っていたとすると、父親の攻め方が余り残酷である。之は父親の嘆願の中に、次第に矛盾を感じて、息子の無罪を信じるようになるとした方が、判事に一●の温味を加えないであろうか。
 広津和郎氏の『寒北の夜』(新青年)の前半は頗る面白い、旅人が未知の迷路に這入って行く所実に神秘的である。流石は広津氏の筆だと思う。然し後半は探偵的興味から云うと、甚だ物足りない。同氏の『封筒』(文芸春秋)の方が探偵的興味が多分にある様に思われる。
 正木不如丘氏の『赤いレッテル』(新青年)も纏まりの好い作である(。)読者は頗る巧妙に引きずられて行く。只大下薬局長の密告が単なる悪戯(*)か、又は拠り所があるのか判然しなかった。
 片岡鉄兵氏の『驚愕の連続』(映画と探偵)は感心しない。この人のものはいつもは好いのだけども、此作は題材が古くて、扱い方が未だ真面目過ぎるように思うが煙草屋の婆さんが間借人の話を立聴く所など、流石に旨いものだ。
 江戸川乱歩氏は「苦楽」に長篇物の第一篇を書いた筈だが未だ見ない(。)『踊る一寸法師』(新青年)は蓋し傑作である。一寸法師に刺し殺される妖艶な女、其泣き叫ぶ声を手品と信じて取り巻く一団の見物、余り真に迫るのでもしやと思う不安な心を、手品だと強いて抑えようとする其の不安な心、奇怪な吐言術、首を抱えて月下に踊る一寸法師、宛としてアラン・ポーの『ミステリー・エンド・イマジネーション』の話の如く、探偵小説と云う額縁から取り出して、文壇に出したき作である。さりながら乱歩氏よ、此作を通じて乱歩題材尽きたるかと云う嘆声と額縁(*)入りの傑作を期待する声あるを忘るる勿[なか]れ。
 水谷準氏の『蝋燭』(新青年)『報知』(探偵趣味)共にルベルを偲ばせる短篇で、氏の才能益々冴えたるを思う。
 岡本綺堂氏の『三つの声』(新青年)は「半七捕物帳」の一だが、従来のものに比べると少しく落ちる。同町内のものが誘い合わせるのが面倒だと高輪で待ち合わしたり、そうかと思うと行きがけに声をかけて居る。すれ違う程、すぐ後から来る人を待ち切れなく引っ返したりするのは不自然で、三つの声のいきさつが鳥渡[ちょっと]呑み込めない所がある。
 松本泰、城昌幸の諸氏の作が、「探偵文芸」が未だ出ないので、見る事が出来ないのは残念である。
 さて終りに拙作『ニッケルの文鎮』(新青年)は奇に走って余りに難解で、ある人は読後他人に話をする事が出来なかったと云うし、女子供には一読しただけでは何の事か分らず全てクロスワードパズルの様な探偵小説を書いて大方諸君の失笑を買った事慚愧々々。


(備考―管理人・アイナット編)≪新字体に変換≫
いくつか付けた(。)は補助的に私が付加した物。原文にはない。
いくつかある(*)、この手前の文字は判読に自信がない文字。
●は全く判読不可能と思われた文字。