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恬淡無慾飄逸な探偵

明智小五郎の印象
春田能為

 明智小五郎は、作者江戸川乱歩氏の紹介によると、講釈師の神田伯龍を思い出させるような歩き方をする男で、「伯龍と云えば、明智は顔つきから声音まで彼そっくりだ。――伯龍を見た事のない読者は、諸君の知っている内で、所謂好男子ではないが、どことなく愛嬌のある、そして最も天才的な顔を想像するがよい――ただ明智の方は髪の毛がもっと長く延びていて、モジャモジャともつれ合っている。」と云っている。然し、私はどう云うものか、明智と云うと痩せ形の天才的の顔を想像する事が出来ない。どっちかと云うと、彼の風采を構わない、飄逸な性質から推して、ズングリと肥った、頸の短い鈍才的の顔を思い出す。実際彼は才気縦横とか、機敏とか腕力が優れているとか云う探偵型でなくて、重大な事件でも何でも、平気で平常[ふだん]のような顔付きで、ええ君そうじゃないだろう。僕はこう思うよ。そうじゃないか、ええ君と云ったような調子で片付けて終う。彼自身も云っている通り、彼は犯罪者を憎むとか、犯罪の動機に批評を加えるとか云う事は一切しないで、只事実を突留めると云う事に無限の興味を持っている。『僕は決して君のことを警察へ訴えなぞしないよ。ただね、僕の判断が当っているかどうか、それが確めたかったのだ。君も知ってる通り、僕の興味はただ「真実を知る」と云う点にあるので、それ以上のことは、実はどうでもいいのだ。』(屋根裏の散歩者)『実は僕はこんな事を探し歩いている男なんですよ。この世の中の隅々から、何か秘密な出来事、奇怪な事件を見つけ出しては、それを解いて行くのが僕の道楽なんです。』(幽霊)こう云ったような飄逸な男で、大方彼は一旦解決して終ったら、もうその事件をケロケロと忘れて終うのではないかと思う。頭脳[あたま]はいかにも天才的でも、外観はどうも鈍才的であるような感[かんじ]がする。鳥渡[ちょっと]師父ブラウンに共通点があると思う。師父ブラウンはいつでも心の平静を失わないで、ニコニコ出来るだけの余裕を持って人に対する。決して大きな声を出して人を威圧したり、脅したりしない。この点は明智も同様で、自分の頭脳[あたま]でジリジリと問題を解いて行って、犯人に納得させる。同じ行方[ゆきかた]でもシャーロック・ホームズのは余り理智的で人間味が少いが、明智や師父ブラウンは世の中の酸[す]いも甘いも噛み分けたと云う人情味のある所が嬉しい。
 明智小五郎は「D坂の殺人事件」に現われ、「心理試験」で最も活躍して、其後は少し衰えたようだ。年齢[とし]で云うと、「D坂の殺人事件」「幽霊」などが青年期で、「黒手組」が中間期、「屋根裏の散歩者」「心理試験」がその絢爛時代であろう。
 明智小五郎は余程話上手らしい。「幽霊」の平田のような古狸の実業家をすら、「それはまぁ何と云う不思議な話術であったか。青年はまるで魔法使[つかい]の様に、さしも堅い平田氏の口をなんなく開[あ]かせ」て終ったし「屋根裏の散歩者」の三良[ろう]も、明智に遭うと、その聡明らしい容貌や、話っぷりや、身のこなしなどに、すっかり引きつけられたし、「黒手組」の実業家も初対面の彼に相当ひきつけられている。私はこの点でも明智を聡明な容貌の持主と考えないで、決して間の抜けた顔ではないが、人に充分安心を与える程度の明い、どっちかと云うと人の好[い]い顔と思いたい。聡明な顔と云うのはどっちかと云うと人に警戒を与える。殊に初対面などでは打解難[にく]いように思われる。話振などもスラスラと雄弁に話すと云うよりは、むしろポツリポツリと、面白く可笑しい話を、笑顔でない飄逸な顔付で、聞く者の顔の紐が解けなければならぬように話すのだろうと考える。
「黒手組」でも分る通り、彼は頗る無慾で、恬淡な事は、どんな難事件を解決しても、平常[ふだん]の通りの顔で、ちっとも自慢に思っていないので分る。生活はどうして支持しているのか分らないが、そう豊かとも思われない。又彼自身も決して豊な生活を望んでいないであろう。
 明智小五郎の探偵法を少し研究して見よう。
 明智小五郎の探偵法は心理的であるのが特長と考えられる。然し、実際は彼の探偵法がそう取り立てて心理的とは云えない。従来の紙上探偵と雖も決して心理的の方面を忘却してはいない。又実際の探偵、殊に訊問と云うような事になれば、嫌疑者のデリケートな心理の動きを無視しては、全然之を行う事が出来ないであろう。只、探偵小説が余りに奇智を追い、意外を事とした為めに、心理的の方面を軽んずるに至った。一つには従来の作家の力が足らなくて、デリケートな心理の働きを描く事が出来なかったのであろう。明智のも一つの特長は犯罪学上の造詣の深い事で、この点は正に傑出している。従来の紙上探偵は犯罪に対する常識は立派に供えているし、犯罪史にも通じているし、時には科学にも精通しているようであった。然し犯罪学の知識は甚だ貧弱であった。新[あらた]に小酒井不木氏出[い]でて、一生面[せいめん]を開いたが、氏の探偵は未だどうも素地のままの犯罪学者で、探偵化していないように思われる。明智に於ては犯罪学者と探偵が一にして二でない所が頼もしい。
 だが、探偵明智小五郎の最大特長はなんと云っても、その推理が平凡なのにある。平凡と云っても、普通の標準から行くと決して平凡ではないが、紙上探偵として頗る平凡である、従来の紙上探偵の推理はシャーロック・ホームズ以来、少し極端に流れた。余りに超人的で、時に一時的に読者を感嘆せしめるに止[とどま]るものがあり、論理の遊戯に堕するようなものがあった。之等の徒に頂門の一針となったのは明智小五郎の出現で、彼は「D坂の殺人事件」で、推理乱用の徒に一大痛棒を喰わしている。二人の学生が、格子の隙間から見たものが、黒白両極端に分れたのから、棒縞の浴衣に結びつけるのは、実は推理乱用で寧ろ噴飯である。然し、従来大真面目でこう云う種類の推理、証人は犯人の着物が青だったと云う、然るに彼は当時白い着物を着ていた、だから彼は犯人でない、と云うが如く簡単に片付ける事が行われていた。
 明智の推理が平凡だと云う事には不服な読者があるかも知れないから、例を挙げて見よう。
「D坂の殺人事件」では彼は二人の女に生傷のある事から、朝日屋の主人を変態性慾者と見、彼を犯人と見る時には遁道[にげみち]の説明のつく事を推論したに過ぎない。
「黒手組」では彼は暗号の看破と解読、それから書生の挙動を不審と見た点から出発している
「心理試験」では彼は蕗屋の答が、刺戟語に対して、幾分ずつ早いのと、絵と云う答に対して、屏風と云う特別な答をしている事を見出しただけの話だ。始めの事実では蕗屋が心理試験に予め備えた事が分り、彼の無技巧の技巧を看破っている。後の事実では、屏風に特別に興味を惹かれる事は、犯罪当日のみ老婆の枕頭[まくらもと]にあった屏風に結びつける事が出来る。彼の成功はそこであった。
「屋根裏の散歩者」では死者の枕頭[まくらもと]の目覚[めざまし]時計が充分巻いてあった事と、毒薬の瓶が抛[ほう]り出してあった事から、自殺でないような気がして、探偵を始めただけの話である。
 之を一個のパイプから、持主の性格から日常の習癖まで推理をするのと比較すると、どの位の差であろう。
 然し、かくの如き簡単な推理から組立てられた探偵小説が、何故に深き感銘を読者に与えるのであろう。之こそ作者江戸川乱歩氏の手腕である。氏は一二の作を除いては、犯罪発覚の経路[プロセス]に重きを置かずして、そのアトラクチブの筆を以って、広き意味の犯罪の世界の種々相[しゅじゅそう]を、吾人の眼前に展開せしめている。「探偵のない探偵小説」に境地を開くべき作者は、今後は稀にしか名探偵明智小五郎を紹介して呉れないだろうと思われる。(終り)


(備考―管理人・アイナット編)≪新字体に変換≫
注釈をいくつか附けておこう。
三段落目の半ばにある《「屋根裏の散歩者」の三良》とは、もちろん郷田三郎のことだろう。この意味不明な誤植は、先ず恐らく編輯部の誤植だと思う。
(再追記:というのは大間違えだった。というのも、初出の「屋根裏の散歩者」では郷田三郎でなく、郷田三良が登場人物であり、甲賀が「三良」と書くのはごく当たり前だったのだ(この文2001/7/21)。)

三段落目の終わりの方にある《ポツリポツリ》、原文は《ポツリ\/》(※“\/”は踊り字の代換字)
後ろから二段落目、甲賀三郎名義の本格短篇『琥珀のパイプ』を指しているのだろう。しかし多数の一般読者は、恐らくこの当時、春田能為=甲賀三郎とは知らないと思う。つまり・・・(汗)
【この文章は確認校訂を済ませています。】