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甲賀三郎とは!?

 まず一言で言ってみよう。戦前一様に江戸川乱歩の最大のライヴァルであり続けた探偵作家である。
 乱歩と同年の大正十二年博文館の「新趣味」でデビュー。新青年にも同年十一月号「カナリヤの秘密」でデビューし、乱歩の「恐ろしき錯誤」と並んだ。
 その後、農商務省の仕事で、欧州視察に行くが、その際でも、本名の春田能為名義で、後に「欧米飛びある記」という博文館の単行本に収録された読物を新青年上に連載し、大変な好評を博した。
 帰日後、いきなり現在にも読み継がれる最先方の短篇本格「琥珀のパイプ」などを発表。そのあたりのことは、ぜひ小説リストで確認して頂きたい。なお、甲賀三郎は、この「琥珀のパイプ」や「ニッケルの文鎮」「妖光殺人事件」など理化学的トリックを得意をした戦前本格派の最高権威でもあった。
 またシリーズキャラクター創造にも意欲を燃やしており、甲賀三郎の最高傑作長篇「姿なき怪盗」などで活躍した新聞記者の獅子内俊次、「緑色の犯罪」などで活躍し、打算で動くという実に人間らしい魅力あふれる怪弁護士の手塚龍太、うっかりもの怪盗で憎めない気早の惣太、凡探偵木村清、魅力溢れる怪盗紳士・葛城春雄など数多い。
 
 さて、ここで、甲賀三郎のルーツについて述べよう。明治26(1893)年滋賀県蒲生郡日野町にて生まれた。本名は井崎能為から養子後に春田能為!この辺りは年表コーナーを参考してもらいたい。ペンネームの由来はお国の英雄、甲賀三郎兼家から採ったとのことだ。ちなみに注意が必要なのは、甲賀地方そのままの甲賀郡や同郡甲賀町というのも存在しており、甲賀三郎の生まれた日野町はその甲賀郡に半分囲まれるような形に位置している。それと日野町のある蒲生郡というのは、安土桃山時代以降の蒲生氏に由来があると思われる。文藝倶楽部昭和3年の「私のお国自慢」という小文では、あまり覚えていないとしつつも確か琵琶湖を自慢していたように思う。しかしこの近江の国でなく、蒲生郡日野町を考えると、実際は琵琶湖は少し離れているので注意だ。もう一つ加えておくと、乱歩の名張町は伊賀地方、甲賀三郎の日野町は甲賀地方、そしてこれはついでに無理矢理だが、名張に西に面したところ、奈良県なのだが、宇陀郡というのがある。いや、大下宇陀児を思い出すではないか、いや、これはおまけ。ともかく江戸川乱歩に名賀と甲賀の甲賀三郎の二人が戦前探偵小説界のビック2だと考えると、これはなかなか面白い符合だと思う。

 話を元に戻そう。この甲賀三郎が現在の探偵小説に与えている影響は大きい。言葉が常識として残っているくらいである。それは「本格」という単語。現在でも「本格推理」だとか、「本格ミステリ」だとか当たり前のように使うが、この命名者が甲賀三郎なのである。これを言うと、きっと甲賀三郎に親近感も感じるであろう。なお、その「本格」命名へのプロセスであるが、最初平林初之輔が、探偵作家の内、乱歩、小酒井不木、城昌幸などの作風を「不健全派」と呼び、平林自身や甲賀を「健全派」とする分類を試みたが、あまり普及しなかった。そこで、甲賀が「健全派」の多くを「本格」に、「不健全派」+αを「変格」に当てはめる言い方を発明し、これは普及したのである。この「本格」というのが、甲賀の考える謎と論理を主とした狭義の探偵小説であり、「変格」というのは怪奇、SF、幻想小説などの現在的観点から見ても推理小説でなさそうな分野を指す。
 また甲賀三郎は本格至上論者であり、本格のみが探偵小説、それ以外の親戚筋(変格)はショート・ストーリーという呼び方にすべきだとし、戦後には文学派のボスになった若き日の木々高太郎などとの論戦を展開したのも有名な話であろう。
 なお、甲賀三郎自身は本格短篇分野では、ある程度目的を達成した感もあり、大いに日本に本格を普及させた貢献があると思うが、長篇においては、「姿なき怪盗」などルパン風のサスペンス作品であり、志し半ばで終わった感が強い。恐らくはヴァン・ダイン風の浜尾四郎「殺人鬼」、クロフツ風の蒼井雄「船富家の惨劇」などを書きたかったのだと思う。
 
 最後も近づいてきたが、次に創作ではないが、犯罪記録小説「支倉事件」に少しだけ言及すると、確かに前半の探偵小説的部分は面白い出来である。しかし後半は冗長すぎるとでも言うか、記録以外に評価出来るポイントは少ないと思う。もっともこの作品自体が記録文学としての価値であるのだが、その記録的価値溢れるこの作品を主人公に探偵作家・甲賀三郎を語るのは不当としか言えないだろう。
 
 残念ながら、21世紀の現在、甲賀三郎の小説作品を手軽に読むことは困難である。わずかに国書刊行会「緑色の犯罪」と、創元推理文庫「日本探偵小説全集1」、春陽堂の復刻版「琥珀のパイプ」「恐ろしき凝視」、他アンソロジーでいくつか読める程度である。執筆者の私(アイナット)の偉大なる目的は、甲賀三郎の知名度アップとファンの集積にある。あるいは著作権が切れているのいで、こうなったら面白かった短篇などをテキスト化するのも面白いだろうと思う。とにかくそうは言っても、やはり甲賀三郎選集文庫などを祈るばかりだ。(2001年4月30日記す)


【追記−1】2001年11月に日本図書センターによって、湊書房版の甲賀三郎全集(全十巻)が覆刻されたのは御存じの通りである。これはこれで大変喜ばしい事で、県立クラスの大きな図書館でなければお目に掛けられない程の書籍ではあるが、超代表作や多くの長篇ならば、とりあえず読もうと思えば、苦労なく読める状態になった。しかしその収録作品数(小説作品リスト参照)は全集の名に恥じるとしか言いようのないレベルに過ぎないのも事実。それにこの状況は、”気軽に”、とは言い難いし、新しいファンの開拓には全く無効である。願わくば、短篇集一冊でもいいから、国書刊行会「緑色の犯罪」と収録がダブらないように、文庫本で傑作選を出して頂きたい物だ。(2002年5月5日記す)

【追記−2】甲賀三郎の身長体重が、エッセイ「優美典雅なるフランス国民」にて公開されていたので、ここにも記しておこう。身長164cm、体重71.5Kgである。なお、これは大正13年、31歳時点でのデータ。(2002年5月5日記す)


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