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東照宮の拝観料(最も驚いた私の経験談)

甲賀三郎
  

 最もびっくりした話と、最もと云う副詞をつけられては、鳥渡話に困る。謡曲の熊野[ゆや]だったかに、「浮世の夢を見ならはしの、驚かぬ身の果敢なさよ」と云ったような文句がある。全く、追々に年を取って、とうが立って来ると、大抵の事に驚かなくなる。ちょっとした事にも、驚異の眼をみは(*)った昔が恋しい。
 極く最近の事、妻を連れて日光見物に出かけたが、この妻が幼稚園から東京にいて、日光が始めてなのもびっくりものかも知れないが、日光へ四五度目の私が、未だかつて東照宮を拝観しないと云うのもびっくりものかも知れない。
 今度日光へ行って、自動車が自由自在に走って、楽々と湯本まで行けるのに鳥渡吃驚した。私達の学生時代は歩くの一手で、東京を一番で立っても、湯本まで行くと、トップリ日は暮れたのだ。
 ザッと二十年の昔、一高時代に友人二人と日光へ出かけたが、今市でふと上野駅で買った切符を見ると、なんと塩原行の切符じゃないか。これにはびっくりした。日光と塩原は大体里数が同じだと見えて、往復割引の切符の値が全く同じなのだ。私はたしか日光と云った積りだが、どう間違ったのか塩原行の切符を呉れたのだ。
 日光駅について駅長に謝ると、あなた方が故意にしたとは認めませんと云って、大変な手数をして便宜を計って呉れた。ホッとして日光町について昼食に親子丼を食べると、代金一つ六十銭也。之には同行の友人一同びっくりして眼を剥いた。今とは違って、一高の賄料一日三食が二十銭と云う時だ。東京でも三十銭出せば気の利いた親子がある。悄然として代金を払って外に出ると、友人がオイこれは間違いじゃないかね。聞いて見たらどうだと云う。そんなら、自分で聞けば好いものを。結局聞く勇気なく山を登る。
 其夜は湯本で一泊して翌朝中禅寺に行ってボートを借りようとすると、一時間之も六十銭也。びっくりして眼を剥いたが、ここまで来て湖上に出ないのも豪腹と奮発する。下山して御廟を拝観しようとすると、拝観料八十銭也。三人で二円四十銭である。又々大びっくり。三人で額を集めて相談したが、二円四十銭出すと、一文なしになる。切符はあるし、晩飯は遅くとも東京についてからどうにでもなるが、昼飯が食えない。夜十時頃まで呑まず食わずで御廟を拝観するか、それとも御廟を失敬して昼飯を食うかという事になって、二対一で御廟拝観が否決になり、昼飯を食う事になった。
 そんな訳で日光へ行きながら御廟を見ず終いになること数回、今度初めて拝観しようとすると、拝観料一円二十銭――尤も之は拝観料と云うのではなく、一種の寄附行為になっているが、之だけ出さなければ拝観できないから、結局拝観料と同じ訳である――
 流石に、今度は、そう驚かなかったが、乗合自動車で誰やらが、物価は大抵下ったが、拝観料は、下らないとこぼしていた。


(備考―管理人・アイナット編)≪新字体に変換≫
元々基本的にルビはない。
一段落目の(*)の「みは」は「目爭」という漢字。
切符を間違えて買ったという、塩原とは、栃木県・東北本線の那須塩原駅の事と思われる。154.2q(上野〜那須塩原)、146.4q(上野〜日光)と異なるが、現在(1999年)でも乗車券は片道2520円と同じなのが少し面白い。