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船のクリスマス

甲賀三郎
 

 生れて初めて祝ったクリスマスだったけれども、胸を躍らすような事もなく、どっちかと云うと淋しかった。と云うのは、何しろ船が桑港[サンフランシスコ]につくのが十二月二十七日、暮に押詰ってから着くような船だったから船客も割に少く、その上に二十六日の夜[よ]が船上の最後の晩餐会、サヨナラ・ディナーと称して十八日間死なば諸共と云う板子一枚上の極楽――下は地獄だから――で、一つ釜の飯を食った人達の別れの御馳走がある。つまり二十五日のクリスマスの御馳走と続く訳で、船の事だから同じような御馳走で、有難味も幾分割引されると云ったような訳。
 いよいよクリスマス当夜になると、食堂は無論美々しく飾られて、頭の上にはいろいろの国旗がぶら下っている。西洋人は無論タキシードだが、日本人は滅多にそんなものは用意していないから、背広の不断着で平気で食堂に出かける。テーブル掛け、ナプキン尽[ことごと]く新しく、献立表も特別のもので、二つ折にした表には色刷りで、金地に烏帽子を被った白拍子が舞っている画[え]があり、中は金文字で一番から三十六番まで料理がズラリと並んでいる。尤も支那料理と違ってみんな食べるのではない。好きなのを選[よ]って食べるのだが、どうもクリスマスの料理には旨いものがない
 食事の終る頃に、食卓に置いてあった円い紙筒に仕込んである紙製の玩具[おもちゃ]をスポンスポンと音を立てさせて抜く。中から風船が出たり紙の帽子が出たりする。剽軽[ひょうきん]な人はそれをヒョイと頭に被ったりする。それから例のコンフェッチと称する赤青黄白などとりどりの紙のテープを、エ・メリー・クリスマスと叫んで相手構わず、その名を叫びながら投げかける。卓子[テーブル]から卓子[テーブル]に縦横無尽にコンフェッチが飛んで、五色[しき]の蜘蛛の巣が張られ、頭の上でこんがらかって、身動きが出来ないようになる。初めは馬鹿々々[ばかばか]しいと思うが、やっているうちに妙に熱狂して、孫があるかと思う様な人で、平生無口の人などが、大声に叫んで投げかけたりする。妙なものだ。之で一杯機嫌なら尚更騒々しいだろうと思うが、アメリカの領海近く酒はなかった。コンフェッチと云うのは複数の形で単数はコンフェット。字引を引くと紙のテープの他に金平糖と云う訳がある。今時の若い人は馴染がないだろうが金平糖と云うのは刺のついた砂糖の小さい塊りで、昔は今のキャラメルの如く小共に喜ばれたものだ。コンフェットが金平糖の語源とは懐しい気がする。
 二十七日桑港[サンフランシスコ]着、二晩泊って二十九日桑港[サンフランシスコ]発。オーバーランド線と云う、東海岸に達する最短距離の汽車に乗越[のりこ]んだが、シカゴまで四昼夜、だから当然シカゴに着くまでの汽車の中、荒涼たる原野を走っているうちに正月となる。
 日本で三十幾つの正月を迎えたが、殆ど家族と共に大晦日を明すのを欠かさなかった所が、急に単身で外国で正月を迎える事となり、而もそれが汽車の中と来ているので、むずかしく考えると感慨無量だが、平気でいれば平気なもので、地球に継目のないように、一年にだって別に特別の関門がある訳でなく、昨日も今日も変りがないのだから、雑費も食わず、屠蘇も飲まなくて、汽車で走っていても、大して苦にはならない。いつの間にか正月になったなぁと思う。それだけだ。
 西洋人は正月に特別の料理は食わないと見えて、汽車の食堂は平生通り、それに船と違って、食卓は早い勝ちだし、日数も短かいから、アメリカ人同志では多少知合になるらしいが、我々とはお互に知らん顔だから、エ・ハッピイ・ニウイヤー、と云う挨拶の言葉は聞かず終いだったような気がする。だから、西洋人が果して、そんな挨拶を交すものかどうか知らない。
 ただ、大晦日、ニウイヤーズ・イブには、西洋人共は大分騒いだ。夜通し、バンジョーと云う月琴[げっきん]の従妹[いとこ]みたいなものを掻き鳴して寝台車の――みんな寝台車だが――真中[まんなか]の通路を行ったり来たり、大いに安眠を妨害した。然し、そうした習慣があると見えて、別に乗客からも苦情が出なかったようで、黒ン坊のボーイも無論チップで買収されたんだろう。ニタニタ笑って見ているだけだった。酒なしで之だけ騒ぎ廻るアメリカ人の勇気には敬服する。尤も内緒で一杯やったかどうかは保証の限りではない。現に洗面所の中で、ひそかにポケットウイスキーをラッパ飲みしている中年紳士を見た事があるから。
 船と汽車でクリスマスと正月を済ませた我輩はこんな風で、我ながら呆気[あっけ]なかった。


(備考―管理人・アイナット編)≪新字体に変換≫
以下、現代仮名遣いへの校訂作業で少し自信が怪しいものを参考までに載せておく。
(註1)サヨナラ・ディナー≠フ原文はサヨナラ・デイナー
(註2)スポンスポン≠フ原文はスポン\/=q\/は所謂踊り字の代換記号〉。ゆえに或いはスポンポン≠フ方が妥当かもしれない。
コンフェッチとは'confetti'(コンフェットとは'confetto')の綴りで、英語辞典にも載っているが、元々はイタリア語。なお、私は金平糖の意味では発見できなかった。そもそもイタリアに金平糖もどきはあるのだろうか?
文章中にあるクリスマス料理が旨くないという表記、さすがは〈カツレツ〉が好きな甲賀三郎である。というよりも実質主義の安くて旨い物派とのことだ。詳しくは沖積社の『犯罪・探偵・人生』収録の「食道楽」を一読すること。
【この文章は確認校訂を済ませています。】

一部、現在的観点では明らかな差別用語が含まれているが、文学的価値がある随筆という性格を備えていることから、また、昭和初期という書かれた時代を安易に忘却しないためにも、全ての校訂作業は旧仮名を新仮名に変更するだけに留め、甲賀三郎文章は全てそのままにしておいた。