第一話・東方社収録の書籍の謎第二話 甲賀小説あれこれ第三話 怪弁護士・手塚龍太に迫る/続・第三話 手塚龍太氏へ特別インタビュー(予定)/第四話 名探偵・木村清の横顔!? /第五話 怪盗・葛城春雄の謎(予定)/第六話 第一号・橋本敏とは!?/第七話 気早の惣太とは!? /第八話 探偵小説講話を見よ! /第九話 「劉夫人の腕環」(長隆舎書房刊行)の不思議/第十話 獅子内俊次の研究/第十一話 暗黒紳士武井勇夫の紹介番外一話 次女の処女作「愛国者」・・・・・・・予定ばかりです。


私の甲賀三郎・雑記録2

第二話 甲賀三郎の小説あれこれ

 まず昭和七年二月号の「新青年」に載った「新しい芽を」という甲賀・評論を見て頂きたい。ご覧になれば分かるとおり、この文章で甲賀三郎は所謂レベルアップ宣言をしている。そしてそれは実践されたと言って良いだろう。もっとも私はこの文章執筆の2001年7月23日現在、《新青年》収録作品など一部しか読んではいないので一応の注意が必要だが、それでも昭和6年以前の作品と比べて明かな差異があるのだから確信しても良いと思う。
 参考までに具体的作品を挙げていくと、甲賀三郎の代表長篇にもなった「姿なき怪盗」が上梓されたのもこの昭和七年であるし、昭和十年までに《新青年》に発表された「妖光殺人事件」「川波家の秘密」「アラディンの洋燈」「体温計殺人事件」「状況証拠」「邪視」「魔神の歌」「月光魔曲」「黄鳥の嘆き」はいずれも代表中短篇、現在でも十二分に楽しめる事間違いないと言っていいくらい高いレベルの作品であり、《ぷろふいる》収録の傑作作品「誰が裁いたか」「血液型殺人事件」もこの時期に当たる。
 同じ《新青年》の昭和四から同六年までの甲賀三郎作品と並べてみると、少し明確になると思う。「女を捜せ」「奇声山」「鍵なくして開くべし」「幻の森」「四本指の男」「焦げた聖書」。もちろん全てが駄目なわけではなく、「鍵なくして開くべし」はこの中では随分面白い作品に当たるし、《文学時代》の「蜘蛛」は絶讃クラスの短篇だ。また《文芸倶楽部》の「離魂術」も圧巻非論理作品の異色作であるから代表作にはし難いが、その意味では注目すべき面白さである。とは言え、総合力では、どうしようもない駄作の「奇声山」や面白味のない戯曲「四本指の男」を始めとして平均点を下げる作品が多いような気がするのだ。《新青年》残りの「女を捜せ」「幻の森」「焦げた聖書」なども程々面白いだけで、作品レベルからして代表作とは言い難い。このようにこの昭和四年から昭和六年は、言葉は悪いがどうも気が抜けた作品が多いような気がするのである。もっともこれは甲賀三郎だけの罪悪ではない。探偵小説界全体の行き詰まりが影響している。リーダ―たる乱歩からして《新青年》に発表したのはわずか「芋虫」「押絵と旅する男」だけであるし、その《新青年》の探偵小説度も些かパワーダウンしたような感もあった。この時期、浜尾四郎の活躍以外はやはり探偵小説界に大きなうねりはないからである。
 では昭和三年以前はいかがだろうか。まず昭和三年だが、「緑色の犯罪」などの傑作を含む連続短篇のあった年である。手塚龍太もので新境地を切りひらいていった年だと言えるだろう。秀作率が高いとは言わないが、《新青年》では「瑠璃王の瑠璃玉」は一歩落ちるものの、これ以外の作品には及第点以上を与えられると思う。もう昭和二年、大正作品に関しては論ずるまでもないだろう。この辺りは模索期間であり多種多様な作品を発表している。この意味では、昭和七年以降の秀作群とは違う意味で興味深いと言えるだろう。この時期は、秀作と言えない作品も多い一方、それでも《新青年》などを読むと、他の作家を圧倒しているのも事実である。大正時代の探偵作家としてのパフォーマンスとしては、江戸川乱歩を横綱とすれば、小酒井不木と我らが甲賀三郎は大関と言って良い。まさにこの三強は他を質量共に圧倒しているのである。こう考えると、探偵小説界の絶対評価と甲賀三郎の相対評価では昭和七年以降暫くの作品群に凱歌が上がる一方、大正年間の作品群も探偵小説界の相対評価としては上位に来る事が明らかになるのである。
 何やら、相変わらず少しズレてきているが、ともあれ甲賀三郎の相対評価としては、昭和七年以降という結論は変わりがない。このように「新しい芽」は確実に育ったことになるが、如何せん戦時色が強くなり、ますます本格探偵小説が書けなくなったことが甲賀三郎最大の不幸であったことは疑いない。戦中の鬱憤を戦後に晴らして頂く思ったのは私だけではあるまい。ただ甲賀がスパイ物を戦中に書いたというのは否定はしないが、それはそれほど多くないとは思う。もちろんまだ未読かつ調査不足は否めないが、昭和15年までの有名雑誌で、「探偵小説」の冠詞で小説を発表していたのは甲賀くらいのものだ。「防諜小説」「捕物小説」「現代小説」「冒険小説」・・・・・・などの冠詞がほとんどだったのである。作品数が昭和15年以降減っていたのは当然だ。探偵小説への圧力が高まり、雑誌の探偵小説そのものが減っていたからだ。載るのは防諜物の優先順位が高いのである。
 ではこの文章がこれ以上変な方向に脱線する前に、終わります。

(初稿:2001/7/23)


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